御岳湖西岸に位置する「王滝村観光案内所」をスタートし、御嶽の自然を満喫しながら、「八海山神社」まで至る全長8.8kmの古道。覚明行者が黒沢ルートを開いたことに続き、1792年に普寛行者が開いた祈りの道です。信仰を伝え、受け継いできた人々の営みに想いを馳せながら、清らかな滝、木漏れ日が煌めく山道をエッセイストの武石綾子さんが訪ねます。
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御嶽山に宿る三柱の神「国常立尊」「大己貴命」「少名彦命」が祀られた神社。ヒノキとサワラの巨木が鬱蒼としげる山の斜面に境内が広がっており、正面鳥居から拝殿までは451段の階段が続いています。拝殿そばにそびえる安山岩の巨大な岩壁は迫力満点です。
住所:長野県木曽郡王滝村東3315 Googleマップで見る
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王滝口からの登山道を開いた普寛行者の教えを継いだ最後の弟子、一心行者が祀られている御堂。御嶽山王滝口の聖地とも言われています。一心行者は信州や関東各所に赴き、御嶽信仰を大いに広めたため、御嶽信仰中興の祖とも言われる重要な人物です。
住所:長野県木曽郡王滝村東3229−1(そば処さくら 向かい) Googleマップで見る
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大又山荘旅館そばにある神社。383段の石段を登った先には「国常立尊」「大己貴命」「少彦名命」が習合した「御嶽山座王大権現」、新潟八海山から普寛行者が勧請した「八海山大頭羅神王」、同じく群馬三笠山から勧請した「三笠山刀利天宮」が祀られています。
住所:長野県木曽郡王滝村大又3159-5 Googleマップで見る
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覚明行者・普寛行者が登山道を開く以前から潔斎のために使われていた落差30mの滝。かつて御嶽山に登る修行者はこの滝のそばに100日(または75日)に渡って籠り、滝行で身を清めたそうです。今も行場として使われており、不動明王と弁財天が祀られています。
住所:長野県木曽郡王滝村大又 Googleマップで見る
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「裏見の滝」とも呼ばれる落差30mの滝。裏側には大きな窪みがあり、その中に御嶽の神々が祀られています。かつては御嶽登拝を控えた修行者がこのくぼみの中に籠り、修行を行なっていたそうです。今も滝のそばには、修行者用の宿泊小屋が建てられています。
住所:長野県木曽郡王滝村 Googleマップで見る
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「木花咲耶姫命」が祀られる神社。奉納された猿ぼこ(小さな人形)を持ち帰ると、子宝・安産にご利益があると言われてます。願い叶って子宝を授かった際には12体の猿ぼこをお礼として奉納するのが習わし。今もお社には、数多くの猿ぼこが納められています。
住所:長野県木曽郡王滝村八海山 Googleマップで見る
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御嶽山王滝口登山道を開いた普寛行者は、越後の八海山も開山したと伝わっています。その縁もあり、普寛行者はこの地に八海山の神「八海山大頭羅神王」を勧進し八海山大神として祀りました。社殿裏に湧き出る御神水は、眼病平癒のご利益があると言われています。
住所:長野県木曽郡王滝村八海山 Googleマップで見る
文・武石綾子(ソーシャルハイカー
)
写真・吉田 智彦
山に向かう時、人は多くの場合山頂を目指す。苦労して山頂に到達した時の達成感は何にも代えがたい。でも、本来山の楽しみ方は無限にある。あえて山頂を目指さずに、そこにある「道」の成り立ちや歴史、人の営みに目を向けるのもそのひとつ。
「道」があるならば、必ずそれを切り開いた「人」がいる。人がいれば必ず「歴史」と「物語」がある。その足跡を追ってじっくりと歩く。必要なのは少しの情報と、好奇心、それから想像力。振り返ってみれば、何の変哲も無い道が少し違って見えたりする。じっくり辿っていくことで、手元の「情報」が「物語」に変わっていくのだ。
梅雨の晴れ間のある日。御嶽山の麓、信州木曽は王滝村に赴いた。
御嶽山は言わずと知れた3000メートル級の名山。この日は一般的なアクセス方法であるロープウェイには頼らず、一合目から歩くことにした。コースは「王滝ルート」。1794年(寛政6年)に武蔵・大滝村(現在の埼玉県秩父市)の行者・普寛(ふかん)により拓かれた、歴史ある”古道”だ。少しずつ標高を上げながら複数の霊場を経由し、五合目の八海山神社を目指す。
スタートは標高900メートル地点。
観光案内所で聞いたところによると、王滝村は御嶽への登拝者が全国から訪れるようになったことで薬屋や宿など、経済的に大きく発展した。ゆえに開祖である行者、普寛の存在が今でも語り継がれている。ただ、その功績は普寛ひとりの存在によるものではなく、彼を支えた影の功労者が複数存在していたようだ。それはコースを辿ることで明らかになっていく。
御嶽神社里宮の苔むした鳥居。その先にヒノキやサワラの巨木と長い石段が続く
まずは御嶽信仰の聖地「御嶽神社」に参拝する。王滝口一合目付近には御嶽神社の別殿が、さらに数分歩いた先に里宮がある。歴史を感じさせる鳥居のその先には長い石段が続く。まずは67段登って一呼吸。さらに371段の階段を登りきると、高い岸壁を背に立つ社殿がお目見えする。旅の安全を祈ってゆっくりと手を合わせた。
森林に囲まれた里宮の境内はとても静かで、厳かな雰囲気
里宮を後にし、石垣づたいに歩いてすぐの場所に「講祖本社」とよばれる社殿がある。別名を「普寛堂」。本殿には王滝口の祖である普寛行者とその弟子の一心行者、一山行者の他に黒沢口を拓いた覚明行者の立像が祀られている。
さらに樹々と民家の風景を眺めながら歩けば、ほどなくして「一心堂」に到着する。
周辺に霊人碑が立ち並ぶ一心堂
普寛行者は道を拓くと同時に、御嶽信仰の考えを広めるべく多くの弟子を育てた。その教えが全国に広まったのは、遺志を受け継いだ弟子たちが各地で信仰の普及に努めたからだと言われている。中でも特に熱心だったのがこの「一心堂」に祀られる一心行者である。
一心たちの活動は人々の心をつかんでいく一方、それを快く思わない既存の宗教勢力からまがい物として扱われる。江戸幕府からも弾圧を受け、最終的に捕縛され流罪となってしまう。師の名誉回復に尽力した弟子たちの働きにより一心はどうにか放免となるのだが、流罪先で没してしまう。その後も弟子たちによりその教えは維持され、後世に受け継がれていくことになる。
意志を貫き、新しい潮流を創り出そうとする人がいて、共感する輪が大きくなり始めると既得権を持った人たちが邪魔をする。そんな構図は現代にもありそうだ。数百年の時を経ても、おそらくこれからも、人の本質は変わらないものなのかもしれない。しかし一方で、強い意思が宿る教えは数百年の時を経ても尚、人々の共感を得て、受け継がれる。これもまた、本質なのだろう。
森林に囲まれた里宮の境内はとても静かで、厳かな雰囲気
一心堂からはしばらく車道沿い。地元の方が声をかけてくれる。「晴れていれば御嶽の眺めがきれいに見えるんだけど、今日は残念だねえ」。こういうものはタイミングだから仕方がない。前日のどしゃ降りがあがっただけでも良しとしよう。
再び苔むした鳥居とひたすらまっすぐに伸びる階段が目に入る。「大又三社」だ。先ほど、400段以上の石段を上り下りしたばかりなので若干躊躇しながら階段の先に眼を凝らすと、神様が鎮座する様子が見えた。
山頂の御嶽三大神に向かって383段の石段がまっすぐ続く大又三社
最上部には、修験道の本尊として仰がれる御嶽山蔵王権現と、普寛により勧請された八海山大頭羅神王・三笠山刀利天宮が祀られている
登った先には御嶽三大神が祀られている。御嶽山頂をはじめ各霊場を参拝できない人のために奉祀されたものだという。果てなく感じるほど長いこの石段も、御嶽登拝になぞらえた修行のひとつということだろうか。
道中の大木に歴史を感じながら休憩。冷涼な気候で、吹き抜ける風が気持ち良い
大又三社の階段から清滝に向かう小径に抜ける。
休憩中、ガサッと音がして後ろを振り返ると、大きな眼をしたカモシカがじっとこちらを見つめて去っていく。悠然としたその様を見て、御嶽の深い自然の中に神様を見出した昔の人が気持ちが、少しだけわかった気がした。
御嶽登拝の人々が古くから滝行を行なっていたという「清滝」に到着。手前の橋から見上げると、前日の雨の影響を受けてであろう、轟音とともに吹き上げる大量の水しぶき。その様は自然の美しさと厳しさを同時に感じさせる。
轟音とともに、滝壺に打ち付ける清滝
眺めるだけのつもりではあったけれど、少しだけ岩場の滝壺にお邪魔してみることにした。手を合わせながら恐る恐る水に足をつけると、想像を上回る冷たさに足がじんと痺れる。滝に近づいてみると勢いの強さに思わずたじろいでしまう。
ちょうど水しぶきを感じられるくらいの場所で目を瞑って「ふうー」と大きく深呼吸。開放感が全身をつつむ。冷たさに少しずつ慣れ、水の強さや動きのみが残る。自然と一体となっていくような感覚。でも、実際に滝の直下でうたれるには、まだまだ体と心の鍛錬が必要そうだ。
ダイナミックな水の流れが気持ち良い。滝行をする人向けの更衣室も用意されている
気付けばびしょ濡れになってしまった服をひらひら乾かしながら、さらに木道を登る。川の音や鳥の声。そこかしこから聞こえる自然音に癒されながら歩いていると、再び轟音が聞こえ、「新滝」に到着した。清滝より更に高い岸壁から滝壺に激しく水が流れ落ちている。その迫力に、修験者が持つべき覚悟のようなものを突きつけられた気がした。滝の裏手にまわり、水の流れをじっと見つめているとあっという間に時間がたつ。火や水をいつまでも飽きずに見ていられるのは、一体どうしてなのだろう。
新滝の裏には行者がこもり修行をしたという岩窟があり、不動明王、八大龍王が祀られている。裏から見ることができるので「裏見の滝」とも
コースも終盤。じわりと疲労が溜まってきたところで、「花戸普寛堂」に立ち寄る。普寛自身の遺言により4か所に分骨されたという墓所の一つ。御嶽登拝の際、普寛を案内したという樵(きこり)の「小谷吉右衛門」の子孫が茶小屋を拓き、現代でもこのお堂を守っている。吉右衛門は後に「吉神」と名を変えて行者になったという。
ヒノキが有名な木曽では、木材を扱う樵の仕事が幕府も認める地位の高い職業だったという話もある。そんな立場にいた吉右衛門が、普寛行者の心意気に感銘を受けて、禁じ手と知りながらも道案内を買って出た。そんな熱い物語があったのかもしれない、なんて想像(もしくは妄想)を膨らませてみる。
無数の霊人碑が御嶽信仰の広まりを感じさせる
青々とした広葉樹の中、霊場の道は続く。
四合目付近まで来たところで、「十二大権現」と書かれた真っ白な鳥居が目に入る。この日何度目かの石段を登りつめると、色とりどりの人形が風になびいている。子宝を願う参拝者が「猿ぼこ」と呼ばれる人形をここからひとつ持ち帰り、子宝を授かったらお礼に「猿ぼこ」を12体(!)作り奉納する、という習わしがあるのだとか。
十二大権現:木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)が祀られている。右側につるされているのが猿ぼこ
この場所から目的地までの道では、天気がよければ御嶽山山頂、木曽駒ヶ岳など中央アルプスを望むことができる。「次の地点まであとXXメートル」と細切れに出てくる案内板に翻弄されながら、ようやく目的地の「八海山神社」に到着した。少しずつ標高をあげて、気付けば1670メートル地点。
本殿には、普寛行者が越後(新潟)の八海山を開いた後に勧請した八海山大頭羅神王が、境内には摩利支天尊、八大龍王尊、愛染明王が祀られている。眼病平癒から縁結びまで、まさに八百万の神がお願いをきいてくれる(かもしれない)縁起の良い神社だ。最後は心地良い疲労感に包まれながら本殿に向かって、旅の無事を報告した。
旅の終わり、八海山神社にお参りする
急峻な道ではないけれど、霊場に加え、森林あり、沢あり、滝ありの実はとても贅沢なコース。例えばシンプルに森林浴をするのも、滝行だけをするのも楽しいだろう。
ただ、今回のように歴史や物語を巡って歩く旅は、大げさに言えば、山、そして道の景色を変えてくれるもの。少しディープで、時に難しくて、心を揺さぶられる。そんな旅情の残る道。この日私は、またひとつ山を好きになった。
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