HIKER'S TRIP

山旅への誘い

山辺と海辺で“両詣り”
神奈川の風土を存分に味わう「お詣りショートトリップ」

令和元年師走の“青山通り大山道”にて
一年を振り返り、2020年を思う

いま、表参道と青山通りが交わる大きな交差点に立っている。明治神宮へと続く街路樹のケヤキは鮮やかな黄色い葉っぱをすべて落としきり、その代わりにイルミネーションの煌めくイエローを纏っていた。忙しない十二月の空気感からちょっと解放され、一年の反省だとか新年の抱負や構想だとか、そういうことを考えるゆとりが出てきたところだ。葉が落ちた後は、この灯りもすべて落ち、そして年が明ける――いよいよ令和元年が終わり2020年が始まるカウントダウン期に入ったんだなあと、気持ちが引き締まる。

ここで交わるふたつの大きな通りは、それぞれ“神さま”のもとへと続いている。ひとつは明治神宮のメインの参拝道である「表参道」で、もうひとつは伊勢原市の大山へと続くかつての参拝道「青山通り」だ。246(ニーヨンロク)とも呼ばれるこの大通りの一部を「青山通り大山道」と言うことは、意外と知られていない。池尻や三軒茶屋あたりに「旧大山道」なる石碑が残っているし、赤い「大山街道」なるステッカーは伊勢原市内をはじめ都内でもその通り沿いに見かけることができる。

「なんか、ここに立ってるだけでもご利益がありそうだね」と、一緒にいた友人のひとりがちょっと大山に興味を示した。「つまりさ、直通ってことでしょ? 神社仏閣がたくさんある中で、そこだけ専用道路みたいなものがあったってことだもんね。すごい山なんだね、大山って」

そう、そうなのだ。すごい山なのだ、大山は。
関東一円に影響力をもった雨乞いの山であり、絵画や落語にも登場する文化的な山だということ。大山阿夫利神社の神さまは、富士山麓の浅間神社に祀られる女神・木花咲耶姫の父神だということ。加えて、大山のある伊勢原市には「東のお伊勢さん」こと伊勢原大神宮がある。恵みがあり文化があるから、人の思いや賑わいに溢れている――。そんなことを力説しながら、ぼくはあらためて大山の縁起の良さを感じていた。

江戸の昔も令和の今も
大山詣りはいつだって楽しく、そして美しい

「そんなに言うなら、お詣りに行ってみたいよね」と言う友人たちを連れて、大山詣りをすることになった。年末年始という、お詣りには絶好のタイミングということもあって、ちょっと贅沢な「お詣りショートトリップ」をしようと企てたのだ。

庶民の文化が大いに開花した江戸時代、伊勢詣り(伊勢神宮に参拝する旅)と富士詣り(富士山に登拝する旅)が大流行した。特に富士山に詣でる江戸っ子たちは“青山通り大山道”を歩いて旅をはじめ、富士山に向かう途中でこの大山に立ち寄った。大山には富士山の祭神「木花咲耶姫」の父神である「大山祇大神」がいるため、お父さんにもご挨拶していかなきゃ失礼だろうと、まあこういうわけだ。この“父娘”の二所を参拝することを「両詣り」という。大山に登らば富士山に登れ、富士山に登らば大山に登れ、と言われるほど庶民に定着した。

小田急電鉄伊勢原駅の北口からバスに乗り、大山ケーブル駅を目指す。参拝客で賑わうコマ参道にはザックを背負ったハイカーがたくさん見受けられ、絶景コースとして名高い大山の登山人気の高さをうかがわせる。

コマ参道は、その名称の由来となったコマ屋をはじめ、土産屋、茶屋、豆腐料理を出す食事処、そして宿坊がずらりと立ち並ぶ、実に風情ある通り。そこには「大山詣り」とか「石尊大権現」とか書かれた色とりどりの“布招き”が吊るされていて、道行く参拝客の関心を引いていた。風にはためく布の様子は、まさに手招きでもされているかのようで、思わず足を止めてレンズを向ける人がいれば、お土産を物色する人もいたりと、楽しい気分にさせてくれる。そんなワクワクの先に待つのが、大山阿夫利神社の下社境内だ。

拝殿に向かう階段の前に、売店やカフェが並ぶ広場がある。さっそく気になるのは「ルーメソ」の文字。インスタグラムやツイッターなどに投稿される人気のスポットで、たとえば“大山阿夫利神社”などで検索するとここで撮った写真がたくさん出てくるだろう。なぜルーメソか、その理由は実際にお店を訪れ、中に入ってみればわかる。ぜひ食事に立ち寄りたい。

大山阿夫利神社は山頂に「本社」があり、ここは「下社」となっている。大山の信仰は、かつて山頂に鎮座していた巨石に祈る雨乞いから始まっていて、それを“石を尊ぶ”と書いて石尊信仰といった。相模の温暖な海は大山の上で雲をつくり、麓の暮らしに実りをもたらす清水となって沢に分配される。この恵みは自然(神)が与えてくれるものだとして、その神威は関東一円に広がった。だから、「石尊山」という名の山が茨城にも栃木にも群馬にも千葉にも埼玉にもあったりするわけだ。

大山は別名を、雨を降らす山として「雨降山(あふりやま、あぶりやま)」ともいう。海が雨となり山が清水を生む壮大な自然の循環――水は大地にとりこまれて豊穣をもたらし、川となって海に養分を注ぎ大漁をもたらしてくれるのだ。参道に魚河岸の名が刻まれているのは、そうした背景があるからだろう。余談だが、阿夫利は“雨降り”と通じ、かの有名なラーメンもそこに由来があったりする。そう思うと、現代に生きるぼくらにとっても、なんだか身近な山に思えてくるではないか。

身近と言えば、境内の一角に構える「茶寮 石尊」は洒落た設えで、最高に居心地がよい。座敷もテーブル席もあるから休憩にうってつけだし、テラスからの展望は抜群だから、穏やかな冬晴れの日ならダウンを着て景色を眺めながらお茶をするのが気分。格式の高い古社でピンと張った背筋を、木造りの雰囲気がほぐしてくれる。日ごろ山とは疎遠な現代人でも、山中でリラックスできる懐深い古社、それが阿夫利神社なのだ。

ちなみに、大山阿夫利神社下社から上――つまり山頂の本社まで登拝するなら、こんな富士山の秀麗な姿を眺めることができる。富士山までは行けずとも、ここから遥拝することができるのだ。ハイカーならぜひこの絶景を眺めに登ってみて欲しい。

山に男神あり、海に女神あり
神奈川らしさを楽しむ「両詣り」の旅

大山阿夫利神社下社の境内からは、神奈川県下の町並みと相模湾の展望の大きさにため息が出るだろう。関東平野の南西に聳え立つ大山ならではの絶景で、東京の町並みの向こうに筑波山を、相模湾の向こうに三浦半島と房総半島を従える絶好のポジションなのだ。

「あれは、江の島?」
「そうそう。昔は大山詣りの後に、江の島に立ち寄ることも多かったらしいよ」

神奈川には、心躍る聖地が多い。日本五大弁天といわれる江の島があり、神秘的な芦ノ湖と険峻な箱根があり、そこを超えれば富士山も近く、そのちょうど中心に大山がある。神奈川の風土風俗に触れながら、そうした聖地を巡り歩く「現代版両詣り」は、間違いなく楽しいショートトリップになるはずだ。

「じゃあ、あそこに見える江の島まで行こう!」

かつて、大山の父神と富士山の娘神を訪ねる「両詣り」が流行したことは先に述べた通り。しかし、実はもうひとつの「両詣り」があることにも触れておきたい。それは、大山に鎮まる大山祇大神が男神であるのに対し、江の島の弁財天は女神だということに関わる。つまり、男女を一対とし、その両方をお詣りすることが良いというわけだ。これは、大山詣りの後に湘南界隈を観光して帰る“精進落とし”とも称されたもので、従って大山と江の島を結ぶ街道は「田村通り大山道」として大いに栄えた。しかも、そこに東海道まで交差するのだから、その賑わいたるや推して知るべしである。

この区間、いまなら小田急線を乗り継いで1時間ほどでアクセスすることができる。江戸っ子たちが知ったら腰を抜かすだろう、実に快適な両詣りが可能なのだ。これは行かない手はない。

大山から一時間
もうひとつの“両詣り”で締めくくる

伊勢原駅から小田急線を利用し、相模大野駅で江ノ島線に乗り換える。ついさっきまで山辺の神さまにお詣りしていたのに、いまは海辺にいるという不思議。電車は偉大だ。これから弁天さまにお詣りをして、男女の神さまを山海に訪ねる神奈川ならではの“現代版両詣り”を成し遂げるのだ。

片瀬江ノ島駅から江の島に向かう道すがら、橋を渡りながら眺める富士山と大山。折しも、大山のちょうど真上に雲ができ始めている。あれが育つと雨を降らす雲となる。ここから遠目に眺めてみると、大山を軸に成立した「両詣り」の舞台がすべて自分の視界の中で結ばれるのが感慨深い。昔の人が、山や海にある自然の営みを敬い、畏れもしながら、祈りの道を編んでいたことに思いを馳せる。ここに立てば誰だって、富士山・表丹沢の秀峰大山・江の島を神聖視するだろう。それだけこの三所は、特別な雰囲気を纏っている。

江の島は小さな島だけれど、弁財天を祀る歴史と島に形成された文化遺構に、これまた懐の深さを感じる。島の裏手にまわると「江の島岩屋」と呼ばれる大きな窟がある。かなり奥深く、かつて修験道の開祖・役行者が参籠したと伝わり、その最奥には江島神社の発祥とされる石祠が鎮まっていた。

「この洞窟って、富士山の氷穴につながってるらしいよ」と、案内板の解説を見た友人が興味津々につぶやいた。「なにごとも、こうしてつながっているのかもねえ」とも。

大山、富士山、そして江の島。山にも海にも神さまがいて、その風土を楽しみながらお詣りする神奈川的「お詣りショートトリップ」は、電車旅で手軽に巡ることができる「現代版両詣り」でもある。目にする風景は感動と縁起の良さを感じさせてくれるから、令和元年を締めくくるもいいだろうし、2020年のスタートにするのもよいだろう。

今日は早朝から動いたから、午後になってだいぶお腹が空いてきた。せっかくだからと、江の島で神奈川の味覚を愉しんで帰ることにした。

「これぞまさしく“精進落とし”だね!」

江の島より大山を眺めながら、そう言って笑い合った。

陽だまりの大山“絶景”詣りと、 山頂で淹れる“神泉”コーヒーの温もりと→
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⼤内 征
低山トラベラー/山旅文筆家

土地の歴史や物語を辿って各地の低山を歩き、自然の営み・人の営みに触れながら日本のローカルの面白さを探究。その魅力とともに、ピークハントだけではない“知的好奇心をくすぐる山旅”の楽しみについて、文筆と写真と小話とで伝えている。
NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」レギュラー出演中。著書に『低山トラベル』、『とっておき!低山トラベル』(ともに二見書房)、新刊に『低山手帖』(日東書院本社)など。NPO法人日本トレッキング協会理事。

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