田辺市×YAMAP

熊野

虫食い材を美しいプロダクトに生まれ変わらせる異業種ユニット
BokuMoku代表 榎本将明

虫の食害によって見た目が損なわれ、商品価値が大きく下がってしまった木材「あかね材」。しかし今、その虫食い跡を個性として生かしたものづくりが熊野で始まっています。挑戦するのは、熊野に住む様々な才能が集結した異業種ユニット「BokuMoku」。今回は代表を務める榎本将明さんにその発足の経緯、そして未来に向けた展望をお聞きしました。

木のスペシャリストが集まった「BokuMoku」

Q.榎本さんが代表を務められている「BokuMoku」とはどういうユニットなのか、また発足したきっかけを教えてください。

榎本「BokuMoku」は田辺市在住の木に携わるスペシャリスト6人の集まり。「素朴な木」という意味から名付けました。6人それぞれの本業を生かして、ありのままの素材のよさを活かしたものづくりを行い、その魅力を伝えることを主な活動にしています。

まず出会ったのは私とグラフィックデザイナーの竹林陽子さん。二人とも田辺市が主催する人材育成事業「たなべ未来創造塾」に参加していました。竹林さんはご主人が建築士ということもあり、すでに「あかね材(スギノアカネトラカミキリムシの食害によって見た目が損なわれてしまった木材)」をどうにかしたいという思いを持っていて、私に一緒にやらないかと声をかけてくれたのです。私は家具屋として、地元の材木を使って家具を作りたいと思っていたところ。ちょうど思いが合致し、BokuMokuがスタートしました。

まずは、メンバーを田辺市内で集めることから活動がスタート。製材業からは紀州材を扱う山收木材(やましゅうもくざい)の山林敏巳さん。木工職人として岩見木工の岩見桂道さん。竹林建築空間設計室の一級建築士、竹林徹さん。そして林業からは、熊野リボーンプロジェクトにも関わっている株式会社中川の中川雅也さん。私と竹林さんを含めた計6名でユニットが正式発足となりました。

BokuMokuのメンバー6名。いずれもその道のスペシャリストだ。こういった人材を地域から見出し、結集させられたことも、このユニットの大きな価値だと言える

この6人がいることで、山の現場からデザイン、制作、販売まで、あかね材を一気通貫に扱うことができるようになったのです。中川さんの山から木材を伐り出して製材所で加工し、木工所や建築現場へ。デザイナーの力でブランディングできますし、私は販売を行うことができます。商品を販売して得た利益の一部は山で木を育てることに使い、中川さんを通して苗木になって山へ。地域内での循環型経済モデルも小さいながら作り出すことができたのです。

木材に携わるさまざまなメンバーがいることで、家具屋の私はエンドユーザー側に、育林業の中川さんは山側にといった感じで、活動を多方向に拡大できるといったこともこのユニットの特徴だと思います。またプロの集まりですので、みんなで相談すれば必ず良いアイデアが出てくる。ひとりでは気がつけない柔軟な発想を紡ぎ出せるのもユニットだからこそのメリットです。

Q.家具店を営まれている榎本さんが、山のことを考えるようになった理由をお聞かせください。

榎本私の家は代々家具業を営んでいて、2020年に創業110周年を迎えました。現在は、田辺市で「Re-barrack(リバラック)」というインテリアショップを経営しています。今は仕入販売を行っているのですが、祖父の代までは自社で工房を持ち、家具作りにも取り組んでいました。私の心のどこかにも「もう一度製造を手掛けたい」という思いがずっとあって。自社工場をもたなくても、このユニットで活動することで、祖父とは違った形の家具作りをすることができるのではないかと思ったんです。

私の会社「榎本家具店」は、長い間家具製造を行っていたので、熊野の山の恩恵を大いに受けてきました。いわば、熊野の山と一緒に歴史を重ねてきたにと言っても過言ではない。ところが現在では、その山が荒廃していている。以前から何となく気にしてはいましたが、あかね材の存在を知っていろいろ調べていくうちに、山の状態が想像以上にひっ迫していることを肌で感じました。今何かをしないと、このままでは悪くなる一方。次の世代に私たちが享受している山の恩恵を残せない。その危機感がBokuMokuの発足につながったのです。

昭和の頃に使用されていた家具店の看板。倉庫から榎本さんが発見したそうだ。今も店内に飾られ、往時の面影を伝えている

山が荒れる悪循環を止めるために、あかね材に着目

Q.BokuMokuが使用している、あかね材とはどのような木材なのでしょうか?

榎本「スギノアカネトラカミキリムシ」という虫の食害を受けたスギやヒノキ材を、あかね材と呼んでいます。スギノアカネトラカミキリムシは枯れた枝に産卵し、孵化した幼虫が枝に近い部分の幹を食べます。それによって木に虫食い跡ができたり、虫の侵入に木が反応し、グレーや赤茶に変色したりするのです。

以前は、和歌山県でも南の地方に多かったのですが、近年、スギノアカネトラカミキリムシの活動範囲は北上しています。手入れが行われず、本当は枝打ちしないといけない枯れ枝を持つ木が増え、虫が住みやすい環境になっていることに加え、地球温暖化の影響もあるのではと言われています。

スギノアカネトラカミキリムシの食害が発生した木の断面。虫食い跡が見て取れる

Q.あかね材は、どのような状況におかれているのでしょうか? また、活用することがどのように山を守ることに繋がるのでしょうか?

榎本木材業界のこれまでの価値観では、虫食いや変色は品質が劣るとされてきたので、大きく価値が下がっていました。和歌山県の林業試験所が行った研究では、柱になった場合の強度にはまったく関係ないという結果が出ているのですが、どうしても見た目などで敬遠されがち。きちんとした木材としての価値はないと見做され、ベニヤ板や梱包材などに使われることが多かったのです。

そのために山から伐り出してきても、安い価格でしか流通しません。林業のプロが見れば、伐る前にあかね材かどうかある程度は見分けがつくそうです。安いことが分かっていると、伐っても赤字になるかもしれないと、山の所有者も業者もなかなか手を付けないんです。

切るべき木をそのままにしておくと、水を吸い上げる力は弱くなります。結果として根を張る力も減り、最後には倒木してしまうのです。倒木が増えると山は荒れる一方。立ち枯れた木も多くなり、虫の行動範囲も広がってしまいます。それを食い止めるには伐り出すことも必要なんです。時には、「私たちが使います」といってあかね材を伐ってもらうことも。そうやって、あかね材だからといって放置されることがない状況を熊野の山に作り出せたら良いなと思い、その活用を促進しています。

製材所に積み重ねられたあかね材の断面

デザインの力で欠点を長所に

Q.BokuMokuの実際の取り組みについて教えてください。

榎本まず、あかね材を使った家具や小物などを作り、その価値を高めています。テーブルや椅子、最近はソファも手がけています。私の家具店で購入やオーダーすることもできますし、これからはECサイトでも販売する予定です。特徴は、虫食いや変色などを隠さず、テーブルの天板や椅子のフレームなどにデザインとして取り入れているところ。これまでの家具の常識では考えられない事だと思いますが、私たちはマイナスと捉えるのではなく、個性のひとつとして敢えて見せているのです。

あかね材で作られた椅子。デザインを追求し、高級家具に生まれ変わらせることで、その価値を向上させようとしている

購入してくれるのは思いに共感し、ありのままのよさを理解してくださる方です。「森や山を感じる家具ですね」という、嬉しい声をいただくことも。サイズが小さいものに関してはなるべく木の香りも生かすようにしています。また、売り上げの一部は先ほどもお伝えしたように、中川さんの活動を通して山を豊かにする費用に充てています。

田辺市長も「山の現状をひとりでも多くの人に知ってもらいたい」という思いから、市長室でBokuMokuのテーブルを使ってくださっています。また、YAMAPさんの東京オフィスでも机や壁などに使っていただいていますね。そのほかにも、企業や一般家庭など、BokuMokuの家具を使ってくださる場所が少しずつですが増えています。

市長室で使用されているあかね材のテーブル。BokuMokuの製品第1号だそうだ

Q.家具作り以外にはどのようなことを行っていますか?

榎本子どもやその家族を対象にしたワークショップを行っています。最近の子どもは山に行く機会が本当に少ないので、まずは身近に感じてもらうことが大切です。メンバーの中川さんの山を訪れて、実際に木を見ながら間伐や植林の意味を知ってもらう活動などを行っています。地域の方だけでなく、最近は県外や東京から参加される方もいらっしゃいます。

また、市街地でのイベントなどにブースを出展し、木工体験をしてもらうことも。木材に触れ合いながら、その木が生まれた山を知ってもらうことが狙いです。会の冒頭でデザイナーの竹林さんが作った絵本を使って、山の現状を説明した上で木工体験をしてもらうんです。説明を聞くとあかね材の虫食い跡があるパーツをあえて選ぶ子も多いんですよ。「あかね材」という個性の素晴らしさが伝わっているのかなと嬉しくなりますね。

山で行われたワークショップのひとコマ。現場に足を運び、子どもたちに山の現状を丁寧に教えている

多様性を受け入れてきた熊野の文化を信じて

Q.これからBokuMokuは、どのような活動をしていく予定でしょうか?

榎本まずは、あかね材をもっと知ってもらい、普及させたいと思っています。私たちが目指すのはあかね材をなくすことではありません。あかね材の存在を知ってもらうことによって、ありのままの木の姿を個性として受け入れてもらう価値観を広めることです。育つ環境が異なれば、木に個性が現れるのは当然のこと。私のお店であかね材のテーブルや椅子を見ると「これが自然じゃないですか」「むしろこれの方がいいです」と言ってくれる人が大多数なんです。そのように賛同してくださる方がもっと増えていくといいなと思っています。

また私たちは現在、あかね材を活動の中心に据えていますが、これからは他の素材にも注目し、デザインの力で価値を見出す活動をしていく予定です。たとえばあかね材と同じように、虫害を受けた椎の木を活用して製品を作ろうと話し合っている段階です。

あかね材を使ったクリスマスツリー。ワークショップで組み立てることで、子どもたちに無垢の木の温もり、そしてあかね材の魅力を伝えている

Q.製品にどのようなメッセージを込めていますか?

榎本もともと熊野は、古来から多様性を受け入れてきた地域。熊野の神様は老若男女、文化や宗教が違う方も分け隔てなく受け入れる懐の深さを持っています。その教えに従えば、見た目が悪い、虫に食われているという理由であかね材を受け入れないという考えは違うと思うんです。熊野という土地に生きる私たちだからこそ、その個性を受け入れ活用していくべきだと考えているのです。業界の凝り固まった価値観の中で弾かれているものの価値を見出し、その居場所を取り戻していきたい。商品を通してそんな思いも一緒に届けていきたいと思っています。

余談になりますが、あかね材のことを調べていて知ったことがあります。熊野本宮大社の使い、八咫烏の三本足には、熊野地方で勢力を誇った熊野三党と呼ばれる豪族にまつわる由来があるのだそうです。その豪族が「宇井」「鈴木」「榎本」の三氏。それを知った時、熊野の山を豊かにするBokuMokuというユニットと出会ったことは、まさしく運命なのだと感じました。私の一族とこの榎本氏が実際に繋がっているかどうかはわからないのですが(笑)。

八咫烏が刷られた提灯。熊野を歩くと、至る所でこの紋章に出会う

また田辺市には、明治の博物学者、南方熊楠さんが居を構えていました。そのため、森の保護活動にも熱心だった熊楠さんが守ってくれた鎮守の森や山がたくさんあります。小さい頃に私が遊んだ山も熊楠さんが残してくれたものなのだそうです。私たちも熊楠さんまでとは言いませんが、100年後に熊野の森を残すためにできることをやりたいと思っています。

Q.最後に、今回の「熊野REBORN PROJECT」に寄せる期待をお聞かせください。

榎本山が好きな方が集まっているので「山を想う」という価値観の根底が私と同じだと感じる方々ばかり。年齢や性別、職業や趣味など多種多様なメンバーが、それぞれに熊野の山の問題を真剣に考えてくれて、意見やアドバイスをくれるのは本当にありがたいことです。

特に、第2回目のイベントで出た「全国のあかねさんと一緒にあかね材の魅力を考える祭りを開く」という意見はすごく面白いアイデアだと思いましたね。そのほかにも、具体的に詰めていくことで形になるのではないかと思う意見も多かった。このようなプロジェクトを通して、熊野の山を一緒に再生してくれる人が増えると、本当に嬉しいです。