南エリア 推奨コース

黒岳~越前岳
南に海原を、北に富嶽を望む、愛鷹山塊の盟主をゆく

西エリア

富士山の東西南北に選定された「富嶽三十六景ハイキング」の富士見スポットを目指して、眺める喜びを追い求めるトレイルを歩く――。バッジを獲得できる二座を踏む魅惑の“周回コース”を、低山トラベラー大内征が案内する特別企画。

第三回目は、富嶽の南エリア。
杉とブナの巨木が点在する黒岳、富士とその南麓を見下ろす愛鷹の北稜、そして山塊の盟主・越前岳。その頂から望む果てない静岡の山並みと駿河の海原に、感動もひとしおです。

コース(富士急バスの停留所を起点に周回するコース)

愛鷹登山口バス停→山神社→黒岳→越前岳→割石峠→割石峠→山神社→愛鷹登山口バス停
【参考コースタイム:6時間】
※愛鷹登山口バス停へのアクセス
JR御殿場駅より富士急行バス(ぐりんぱ行・富士サファリパーク経由十里木行)
JR三島駅より富士急シティバス(特急・準急ぐりんぱ・イエティ線水ヶ塚公園行)

未知の世界に心が躍る、南エリアの一大山塊

富士山の東西南北にあって、南エリアの愛鷹山塊は東海道からとてもよく目立つ。富士山を隠すほどに聳え立ち裾野を広げる山容は巨大な“屏風”のようで、東名高速道路からも東海道新幹線からもお馴染みのアングルだ。ぼくは中学時代の修学旅行で生まれて初めて日本一の山とともにこの一大山塊を目の当たりにし、こんな山があるんだと、新幹線の車窓に額をこすりつけて眺めたことをよく覚えている。

富士山への玄関口は富士急行と中央自動車道が通じる河口湖側がメジャーなので、東・西・北の三方向の山々に比べると南の愛鷹方面は馴染みが薄いという人が多いようだ。この日の山仲間もそんな風で、どんな楽しみ方がある山なのかとワクワクを隠せないこどものような振る舞いをしている。ふと、修学旅行で車窓の向こうに視線をくぎ付けにされた少年の姿を重ね見た。なんだか気恥ずかしい。

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愛鷹山塊の最高地点は1504mの越前岳である。この山には、富嶽の四方の中で唯一といっていい絶佳が待っている。そこには「日本一高い富士山」を真北に眺め歩く稜線と、弓なりに伸びる「日本一深い駿河湾」を真南に眺める頂があるのだ。つまり、富士山と駿河湾というふたつの“日本一”の間に聳え立つ山なのである。これこそが越前岳ならではのポジションであり、魅力だろう。まだこのコースを歩いたことのないぼくらにとっては、わざわざ目指したい理由でもあった。

古より賑わった東海道の旅人からすれば、富嶽の“前”に立ちはだかる衝立であり、そして、偉大なる富嶽を詣でるにはここを“越”えなければならないという試練の山だったのではないかと想像する。そんなぼくの独り言を聞いて、周りの仲間たちが“越前岳”ってそういう意味だったんだーと妙に納得したようだった。しかし実は、遠く越前は福井まで見渡せたとか、東南側に位置する前岳を越えたところにある山だからだとか、定かではない由来がいくつかある点も興味深い。

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大山祇命を祀る登山口の山神社で山行の無事を祈り、黒岳を目指す。その序盤は杉の密集する樹林帯の急登をぐいぐい登る道。もくもくと歩いて高度を稼ぐと、杉やブナの巨木が目に付くようになってくる。無数の枝を左右に広げる杉は蔵王権現の逆立つ髪の毛のようだったり、縦横無尽に曲がりくねった枝をもつブナは毛細血管のようだったりと、命の躍動を連想させてくれて、木々を見ているだけでも面白い。

杉林は、その密集具合から山道を暗くする傾向がある。遠目に眺めると山を黒々とさせてもいる。新緑の鮮やかさとは無縁の重たさを感じさせることが、「黒岳」という名の由来なのだろうか。この名の山は日本各地にあるが、そういえば杉や黒い岩に覆われた山が多いように思う。

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富士見峠に乗っ越して以降は杉林の急登をゆく。黒岳の自然杉の保存エリアを過ぎると、樹木の主役はブナに変わった。それまで光の届かなかった山中が陽に照らされ、一気に明るくなる。

「黒岳展望広場」まで来ると、眼前に聳える富士山に感動する――はずだったが、この日の富嶽は山肌に雲を纏い、見られることを拒んでいた。それから黒岳の頂に到達したものの、ここでも富士山の雄姿は拝めず。広い山頂に備わるベンチで休憩して、気を取り直したところで盟主・越前岳へと向かうことにした。

旧紙幣の図案になった、富士見台からのアングル

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富士見峠に戻り、ここから西へと狭い山道と尾根道とをひたすら登り続ける。初心者にはいささかきつい道のりだから、マメな足休めをとって調子を整えるようにしたい。

単調な登りに飽きはじめるころ、「鋸岳展望台」に到達する。鋸岳は、割石峠から位牌岳を結ぶ登山道の崩落によって立ち入ることができないギザギザの山だ。手前に深く切れ落ちた谷があって、ここが火山だったことを思い出させるほどに荒々しい。そして、その迫力を打ち消すほどに艶やかなアシタカツツジの美しさ。このギャップは、一見の価値ありだ。

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天に向かって伸びゆく尾根道をさらに進むと、北に展望がひらけた「富士見台」がある。ここから眺める富嶽は、昭和十三年発行の五十銭紙幣の図案に採用されたアングルだそうだ。岡田紅葉という写真家がたびたびここまで通い、撮影したものがベースになっている。令和になった現代からすると、昭和と聞いただけでずいぶん昔の話に思えてしまうねと、みなでささやく。昭和の生まれのぼくらは、そうやって年を重ねていくのか……。

ちなみにその岡田紅葉は、生涯で40万枚近く富士山を撮ったそうだ。時を超えてリスペクトしたい偉人。と、そんな話をしていたら、朝から富士を纏っていた雲がすーっと引きはじめた。と同時に、わーっと歓声があがる。越前岳の頂に着くころには雲は消えてなくなっているかもしれないねと、はじめは小さかった期待が膨らんでいく。

やま・まち・うみと続く大地の眺め

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ここからさらに30分ほどの登りを頑張ると、木々のアーチの先に、ようやく越前岳の頂が見えてきた。先客が夢中でカメラを構えている。1500mを超えるどっしりとした体躯の山だから、なかなか登りごたえがある道だったわけだが、そんな苦労も忘れさせてくれるほど、果てない海と静岡の山並みに息を飲んだ。

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この頂の真骨頂は、まさに“南”の駿河湾の展望にある。大きな弓なりの海岸線はまるで静岡県の地図を眺めているかのようにくっきりしていて、その向こうで雲に霞んだ沖合の海は、空間に溶け出してしまったかのように空とつながっている。

この「やま・まち・うみ」の連続した眺めは、富嶽三十六景の中でもこの越前岳ならではのものだと言える。海抜0mから3776mの「日本最大の高低差」を同時に眺められる稀有なポジションだから、心ゆくまで楽しみたい。

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雲はとれているだろうかという期待に、富士山は静かに応えてくれていた。ここから“北”に眺める富士山は樹林によって山頂部分しか見えない。とはいえ、残雪が溝を埋めるかのように登山道を白く浮き立たせていて、これがとても印象的。登りはじめは裾野すら見えなかったわけで、こんな風に山塊主峰のピークで姿を見せてくれるなんて、なんだかこれだけで幸せな気分になれる。

なんでもないことが幸せだと気づかせてくれた青い鳥

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下山道は、ジェットコースターのように起伏に富み、見晴らす景色も変化があって楽しいことは間違いない。痩せた尾根を歩き、小刻みに上下を繰り返しながら、たびたび現れる山谷と海街の絶景ポイントに励みをもらえる表情豊かなトレイルだ。

コース上で最後のピークとなる呼子岳からは急降下となる。鋸岳との分岐にあたる割石峠に差し掛かると、ここからしばらく“沢下り”が続く。登山においては、下りでヒザを痛めてしまう人が多い。このⅤ字の谷底は、その意味で下山が苦手な人にはやや辛い道となりそうだから、ヒザに負担をかけぬよう体重移動には注意を払いたい。トレッキングポールと、ヒザや足首用のサポーターを用意しておくといいだろう。

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そういえば、越前岳に別れを告げて呼子岳に向かう下山途中、道行く先に青い鳥がとまっているのに気がついた。ちょうど目線の先、細いトレイルの真ん中にある岩にとまる姿がとても美しい。オオルリだろうか。70mmのレンズではこれが精いっぱいの接近だったが、飛び立ったこの鳥を目で追いかけた先に、越前岳越しの富士山が今日イチの美しさだった。冒頭の一枚はそのアングルである。

これ自体はそう特別なことでもないんだけれど。しかしながら、幸せは意外と身近なところにあるという「青い鳥」の話をなんとなく思い出した。思えば、未知の山だったこの山域の旅を、この日も夕暮れを前に無事終えようとしている。富士山もいいタイミングで姿を見せてくれた。今日の山旅は、小さな幸せの連続だったといえるだろう。スタート地点に戻り、なんでもないことの積み重ねの奇跡に感謝をし、ぼくらは山神社に無事の下山を報告した。

著者プロフィール

大内征(おおうち・せい) 低山トラベラー/山旅文筆家

土地の歴史や物語を辿って各地の低山を歩き、自然の営み・人の営みに触れながら日本のローカルの面白さを探究。その魅力とともに、ピークハントだけではない“知的好奇心をくすぐる山旅”の楽しみについて、文筆と写真と小話とで伝えている。

NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」レギュラー出演中。著書に『低山トラベル』、『とっておき!低山トラベル』(ともに二見書房)、新刊に『低山手帖』(日東書院本社)など。NPO法人日本トレッキング協会理事。

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