山本正嘉(やまもとまさよし)先生
山本正嘉(やまもとまさよし)先生

【9割の登山者が安全圏外?】
健康登山のためのペース管理とトレーニング

鹿屋体育大学 山本正嘉 教授

健康志向が高まる中で、登山が幅広い世代に親しまれる一方、登山中の病気や事故の発生件数は年々増加傾向にあります。
このようなトラブルから身を守るために、私達は何を意識すべきでしょうか。
登山の運動生理学とトレーニング学が専門であり、ご自身も40年の登山歴を持つ、鹿屋体育大学の山本教授にお話を伺いました。

INDEX

登山はなぜ健康に良いのか

──近年登山者数は増加しており、中には健康のために登るという方も多く見られます。山本先生は、登山と健康の関係についてどのようにお考えですか?

山本先生:登山が心身の健康に良いということは、多くの方が感じていることだと思います。登山には、心肺機能を改善する、脂肪を減らす、筋と骨を強くするなどの効果がありますので、確かに健康的と言えますね。ですがその理由は、ある程度強度の高い運動を長時間かけて行うからです。
つまり、登山というスポーツは、思った以上に身体への負担が大きい運動だということです。自分の体力に見合った登山をすれば健康に良いのですが、体力に不相応な歩き方をしてしまえば、疲労や故障を招いて、それが事故に繋がるケースもあります。実際に、体力不足が原因で起こる事故は年々増え続けています。

──そのような事故を防ぐために、私たちは何を心がければ良いのでしょうか?

山本先生:トラブルを防ぎ、健康的に登山を続けるために重要なことは、まずは自分に合った歩行ペースを知ることです。そして、目標の山に登れるように、普段から運動を行って体力をつけることが大切です。皆さん自身でも実行できるように、心拍数などの客観データを使ったペースコントロールと、登山に役立つトレーニング方法を紹介したいと思います。

”心拍”と”主観”でわかる、自分に合った歩行ペース

──なぜ心拍数などの客観データが重要なのでしょうか?

山本先生:元気な方や登山歴の長い方だとなかなか実感を持てていないケースも多いのですが、体力は年齢とともに低下していきます。若い頃の感覚のまま登山を行うのではなく、現在の自分の体力に合った歩行ペースがどれくらいなのか、それを知るためには客観的な視点で測ってみる必要があります。その時に役立つのが「心拍数」です。

──年齢ごとに、心拍数の参考値があると聞いたことがあります。

山本先生:はい、一般的には、自分の最高心拍数(220-年齢)の75%くらいを保てば、疲労せずに歩けると言われています。
しかし、これには注意が必要です。
この計算式では、例えば60歳の方は、(220-年齢)x0.75で120くらいが適正な心拍数ということになりますね。多くの場合これで問題ないのですが、心拍数は非常に個人差が大きく、同じ60歳でも最大心拍が130の方もいれば190の方もいるのです。計算上の数値を鵜呑みにしてしまうと、人によってはきつすぎる、または物足りないということが起きてしまいます。

──では、自分に合った心拍数はどのように測れば良いのでしょうか?

山本先生:自分にとっての適正値は、「主観強度」という指標を組み合わせることで、より正確に把握することができます。山登りの時、速く歩けばきつく感じ、ゆっくり歩けば楽に感じますよね。この主観的な「きつさ」の度合いを数値化した表があります。

主観的運動強度 (小野寺と宮下(1976)に一部加筆)

20
19非常にきつい
18
17かなりきつい
16
15きつい
14
13ややきつい
12(きつさを感じる手前)
11
10
9かなり楽
8
7非常に楽
6

主観強度12(きつさを感じる手前)が、多くの方がバテずに歩き続けられるペースの目安です。このペースで歩いた時の心拍数が「自分にとっての本当の適正心拍」になるので、これを測っておけば、あとは心拍計を見ながらその数値を超えないように歩くことで、安全に登山ができるということです。

──心拍数をこまめにチェックしながら歩くことが大切なのですね。

山本先生:そうですね。気づかないうちにペースが上がってしまうこともよくあるので、できるだけ意識して確認すると良いと思います。最近では、設定すればアラートを出せる時計なども市販されているので、自分の適正心拍の範囲を超えた時に知らせてくれるようにしておくのもおすすめです。これだけでも、特に50代以上の中高年者に多く見られる心臓突然死などのリスクはかなり減らせると思います。

山本先生

登山というスポーツを理解する

──登山をウォーキングの延長と捉え、気軽に登っている方も多いように思います。

山本先生:登山は、荷物を背負った状態で坂道の上り下りを繰り返し、またそれを長時間続ける運動です。少し専門的な話になりますが、運動生理学では、運動のきつさを運動強度と呼び、メッツという単位で表します。メッツは、ある運動に使うエネルギーが安静時の何倍かを示します。6メッツの運動であれば多くの人にとって安全ですが、7メッツになると心臓突然死が起きる確率が急増すると言われています。山に置き換えると、傾斜の緩いコースをゆっくり歩くハイキングは6メッツ、一般向けや健脚向けコースは7メッツ、雪山・岩山・沢登りなどのバリエーション登山は8メッツ以上に相当します。

──軽いハイキングでも、平地でのジョギングくらいの負荷がかかっているのですね。

山本先生:はい、さらに歩くスピードによっては、ハイキングでも6メッツ以上の負荷になることがあります。目安として、1時間あたりに標高300m上がるペース(登高速度300m/h)であれば6メッツ、400m/hだと7メッツの強度になります。意外に思う方もいるかもしれませんが、登山はそもそも高強度の運動なのです。それを自覚した上で、特に心臓に不安がある方や運動不足の方は、6メッツのペースを保って歩くことが、安全登山のためには重要になります。

──多くの方は、普段どれくらいのペースで歩いているのでしょうか?

山本先生:中高年の一般登山者を対象として歩行ペースを調査したところ、400m/h(7メッツ)以上で歩いている方が92%を占める結果(男性93%/女性90%)となりました。
ゆっくり歩きましょう、無理しないで登りましょうと言葉ではよく言われますが、自分の感覚に任せて歩いていると、無意識のうちに安全圏外のペースになってしまっていることがうかがえます。もちろん、400m/hを超えたからといって誰もが危険というわけではありません。心臓に問題がなく、体力のある人ならば、500m/hくらいまでは大丈夫でしょう。 しかし、体力の有無にかかわらず、心拍数や登高速度など、第三者的な視点で自分の体力を見直す習慣は、登山を楽しむ全ての人に身につけていただきたいですね。

メッツの単位で表した様々な運動の強度 (Ainsworthら(2000)より抜粋)

運動の強さ スポーツ・運動・生活活動の種類
安全圏内 1メッツ台 寝る、座る、立つ、食事、入浴、デスクワーク、電車に乗る
2メッツ台 ゆっくり歩く、立ち仕事、ストレッチング、ヨガ、キャッチボール
3メッツ台 普通に歩く〜やや早く歩く、階段を下りる、掃除、軽い筋力トレーニング、ボウリング、バレーボール、室内で行う軽い体操
4メッツ台 早歩き、水中運動、バトミントン、ゴルフ、バレエ、庭仕事
5メッツ台 かなり早く歩く、野球、ソフトボール、子供と遊ぶ
6メッツ台
【ハイキング】
ジョギングと歩行の組み合わせ、バスケットボール、水泳(ゆっくり)、エアロビクス
安全圏外 7メッツ台【一般的な登山】 ジョギング、サッカー、テニス、スケート、スキー
8メッツ台
【バリエーション登山】
ランニング(分速130m)、サイクリング(時速20km)、水泳(中くらいの速さ)、階段を上がる
9メッツ台
【トレイルランニング】
荷物を上の階に運ぶ
10メッツ台 ランニング(分速160m)、柔道、空手、ラグビー
11メッツ以上
【ロッククライミング】
速く泳ぐ、階段を駆け上がる

ウォーキングをすれば登山は楽になるか

──現状の体力に合わせて歩くことも重要ですが、より難易度の高い山に挑戦するには、体力をさらに鍛えることも必要だと思います。

山本先生:そうですね。野球やサッカーなどでは日々トレーニングを行いますが、登山は週に1回行けばかなり多い方ですよね。つまり、登山は練習量が少ない状態で急に行う方が多く、その分身体への負担も大きいと言えます。月に一回、高い山に登ることは、練習せずに市民マラソンに出るくらいの負荷になると考えて良いでしょう。

──登山をされる方の中には、日頃から運動をされている方もいらっしゃいます。

山本先生:日常的に行なっているトレーニングを聞くと、ウォーキングや階段昇降と答える方は多いです。しかし、ウォーキングは前述の基準では4~5メッツの強度しかありませんし、平地を歩くだけでは心拍数も登山時のレベルまでは上がらないので、実は登山のためのトレーニングとしては不十分なのです。また、ウォーキングは水平方向の運動であるのに対し、登山は垂直方向への運動のため、使う筋肉も異なります。

──階段昇降はけっこう疲れるので、強度はあるように思うのですが?

山本先生:階段昇降も、駅の階段程度では標高差が5~6mしかないので、登山向けのトレーニングとするには運動時間が短すぎますね。また、硬い階段面で上り下りを繰り返せば、膝などを痛めるリスクも。残念ながら、これらの運動を行なっているだけでは、登山に耐える体力をつけてトラブルを防ぐことは難しいと言えます。

──ウォーキングや階段昇降が適さないとすると、登山者はどのようなトレーニングをすれば良いのでしょうか?

山本先生:私が推奨するのは、近くの低山でできるだけ頻繁に登山を行うことです。1ヶ月あたりで、山で上り下りする距離の合計を、上りと下りそれぞれ2000mずつ確保することをお勧めしています。 これも、月に一回だけ標高差2000mの登山を行うのではケガの元です。できれば週一回のペースで標高差500mの山に合計4回に登るなど、分散させることが身体を壊さずに続ける秘訣です。これを行えば、70代前半くらいまでの方であれは、安全に山に登れる身体づくりができます。

山本先生

──登山のトレーニングは登山で、ということですね。ただ、近場に山がない、仕事が忙しいなどの理由で日常的に山に行くことができない方も多いのではないでしょうか?

山本先生:そのような場合は、まずは平地でのトレーニングでも良いので始めてみましょう。急にきつい運動を行えば身体を壊しますので、最初はウォーキングとジョギングを組み合わせてみるのも良いと思います。ただし、これだけでは高い山に登れる体力をつけることは難しいため、少しずつ運動強度を上げていく必要があります。その際、登山時に計測しておいた自分の適正心拍数を参考にして、適正レベルの運動を30分から1時間程度、適正レベルをやや超える運動を10分から30分程度、行えるような運動メニューを加えていくと良いと思います。ジョギングやランニング、水泳などですね。

──毎月2000mの登山を行えば、トレーニングとしては十分と考えて良いのでしょうか?

山本先生:月間累計2000mの登山は、主に心肺能力を維持・改善するための持久力トレーニングになります。その一方で、もう一つ重要な要素として筋力があります。登山中に起こるトラブルの上位を占める「筋肉痛」「下りで脚がガクガクになる」「転ぶ」などは、筋力が弱い人が起こしやすい症状です。筋力は年齢とともに低下しますし、通常の登山を続けているだけでは維持することはできません。中高年の方こそ、積極的に筋力を鍛える必要があるのです。

山本先生

──具体的には何をどのくらい行えば良いのでしょうか?

山本先生:お勧めは、スクワットと腹筋をそれぞれ15回x5セット、週2〜3回行うことです。これが苦にならずにできるようになると、一般的な登山に十分な筋力がついたと思って良いでしょう。私も行なっていますが、登山やスキーを快適に楽しめています。

──日常的にできるもので、他にお勧めの運動はありますか?

山本先生:登山者の方には、「登山体操」を行っていただきたいです。筋力強化とともに、山で転びそうになった時の身のこなしや体の柔軟性などを総合的に改善する目的で作りました。基本バージョンと、中高年者向けのすこやかバージョンの2種類があります。ひとつひとつの体操が登山時の動きになっていて、ラジオ体操と同じ3分間で行うことができます。体操といってもかなり体力を使いますので、登山前よりも、日々のトレーニングの一環として、ぜひ取り入れてみてください。

──これからも健康的に登山を楽しみたい方に向けて、メッセージをお願いします。

山本先生:最近では科学と技術が発達し、何でも数値で「あなたはこうすれば良い」とやるべきことを指示してくれる便利な世の中になっています。もちろん良い側面もある一方で、その発想には危険もあると思っています。
計算式だけで自分の適正心拍を決めてしまうのが危険であることは、前述の通りです。
人間には個人差があります。登山で言えば大切なのは、心拍数を主観強度という自分なりの指標で計測することで、自分の適正歩行ペースを正確に理解することです。
そして、自己学習した”本当の適正数値”を、登山時のペースコントロールに活用したり、自分に合う平地でのトレーニングメニューを考える時の参考にしたりと、皆さん自身で使いこなし、健康的な登山に役立てていただきたいと思います。

──山本先生、ありがとうございました。

山本先生

プロフィール

山本正嘉(やまもとまさよし)

1957年横須賀市生まれ、東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学)。鹿屋体育大学教授および同・スポーツトレーニング教育研究センター長。専門は運動生理学とトレーニング学。一般的な登山はもとより、高所登山やスポーツクライミングといった尖端的な分野に至るまで、より安全に、あるいはより高度に行えるような方法論を確立するための実践的研究を行っている。2001年に秩父宮記念山岳賞を受賞。

登山の運動生理学とトレーニング学

著書 : 登山の運動生理学とトレーニング学

アウトドアフィールドと都市を行き来する
ライフスタイルの頼もしい相棒。

※YAMAPコラボモデルはYAMAP STOREのみで取り扱い

「心拍計測機能」搭載 PRO TREK Smart WSD-F21HR