田辺市×YAMAP

熊野

古道周辺に住む人の力を結集し、地域の未来を創造する
株式会社秋津野代表取締役会長 玉井常貴

地域の未来像を考え、実現していく上で欠かせない住民の合意形成。しかし、地域には多様な人々が住み、なかなか議論がまとまらないのが現実です。熊野古道中辺路の玄関口、和歌山県田辺市の上秋津地区を拠点に活動する「秋津野塾」は民間組織でありながらその難題を乗り越え、住民の力を結集して地域作りを推進する稀有な存在。熊野古道を“観光地”としてのみならず、人々が住む“居住地”としても成熟させようと、地域作りに日々奮闘しています。代表を務める玉井常貴さんにその苦労、そして人々を巻き込む秘訣をお聞きしました。

持ち回りの区長をきっかけに、地域作りの中心へ

Q.玉井さんが地域作りに参画された経緯を詳しく教えてください。

玉井私が地域作りに携わるようになったのは、今から32年ほど前、44歳の時です。当時私はNTTに勤めるサラリーマンで仕事も忙しく、地域とあまり関わっていませんでした。私の暮らす和歌山県田辺市の上秋津地区には11の集落があり、それぞれに自治会の区長がいます。私の集落では、順番に区長を担当するのが通例になっていまして、ちょうど平成の初め頃、私のところに回って来たんです。

上秋津地区は熊野古道中辺路の玄関口、田辺市街地から車で15分程度の場所に広がる地域。柑橘類と梅を中心とした農業が盛んに行われている

その頃、上秋津地区は人口が徐々に増えている時期でした。もともと農業中心の地区なのですが、田辺市街地に近く利便性が高いため、新しく引っ越してくる人が多かったのです。そうして混住化が進むにつれ、さまざまな問題も持ち上がってくるように。そのひとつに、農業用水に家庭排水が流れ込んでくる問題がありました。そこで、上秋津地区でも国の支援を活用して農業集落排水事業に取り組むことになり、区長と合わせて、施設の建設委員長を任されることになりました。

さらに、上秋津地区に公民館を作る計画にも携わることに。その時に「高齢者も増えているので福祉施設も作るべきでは」という発言をしてしまったんです(笑)。そこで老人交流施設の立ち上げにまで参画することになりました。会社で働きながら2年くらいかけて事業計画を作ったところ最終認可が下り、私の任務も終わりだと思っていたら、「建設まで責任を持ってほしい」という話になりまして…。その会議の場で、「よし。そこまで本腰を入れるのであれば、明日会社に辞表を出す」と言って帰って来てしまったんです。でも帰りのタクシーの中で不安な気持ちになり…。妻に話したら反対してくれるだろうと思っていたら「辞めても大丈夫じゃない?スッキリしたら?」と言われまして(笑)。2人の子どもは大学を卒業していましたし、妻と共働きということも後押しし、会社を辞めることになりました。それが49歳の時でした。

若かりし頃の玉井さん

老人交流施設の立ち上げも完了し、公民館も完成しました。これからは地域活動をしっかりしていこうと思っていた矢先、次は公民館長にならないかという打診が。公民館長は教育委員会から任命されるのですが、田辺市では地域の人々にどのような人が適任か話を聞いて決められます。それまでは退職した校長先生が公民館長になることが多く、サラリーマン上がりの私のような人材の起用はまれ。驚いたのですが、地域の皆さんが推薦してくれたのであればと引き受けることにしました。そうやって、半ば流れに身を任せて、地域作りに参画するようになったんです。

地域の人々の連携を深め、意見を集める「秋津野塾」

Q.区長に始まり、次々と地域作りに参画するようになったのですね。その後、地域に既にある多くの組織と連携して地域作りの組織「秋津野塾」を立ち上げられましたが、こちらはどのような経緯があったのですか?

玉井公民館というハードが完成すると、そこには人や団体が集まってきます。そういった人たちを繫げていくことが、地域作り良い効果をもたらすと考えたんです。公民館や老人交流施設などの立ち上げで感じたのは、横断的な関わりを作ることの必要性です。

地域を自治会だけでまとめようとすると、どうしても住人の皆さんの意見を細かく吸い上げることはできません。そこで、既に存在している地域の組織が連携した「秋津野塾」を立ち上げることになったのです。構成組織は、若い有志が集まる勉強会「上秋津を考える会」、町内会や老人会、消防団、学校のPTA、JAの組織など。これで、さまざまな立場の方の意見を聞くことができる態勢が整いました。

秋津野塾の構成団体図

Q.多くの組織が集まる「秋津野塾」をまとめるのには苦労があったかと思うのですが、どのように結束を強めていきましたか?

玉井私たち公民館の組織が黒子になって横同士を繋ぐことを意識していました。なかでも、子ども達を介した行事は、大人をスムーズに繋げるのにとても効果的でした。子どもの農業体験、お年寄りと子どもがチューリップを植えるイベント、夏は盆踊り…など、秋津野塾の組織を活用していくことで、大人同士にも自然と交流がもたらされ、少しずつ連携が生まれていったのです。

お年寄りと子ども達によって植えられたチューリップ。奥では地域のお祭りが開かれている

「秋津野塾」から生まれた、地域を見つめる4つの法人

Q.その後「秋津野塾」からは、「株式会社きてら」、「株式会社秋津野」、「一般社団法人ふるさと未来への挑戦」、「株式会社秋津野ゆい」という4つの法人が誕生していますが、これはどのようなきっかけがあったのでしょうか?

玉井秋津野塾での活動を続けるうちに、子どもの農業体験、イベントでの農産物販売など、これまでに行ってきたことをソーシャルビジネスに転化できないだろうかという意見が出るようになります。そういう思いがあちこちで芽生え始め、そのうち「秋津野で昔から営まれてきた農業を活性化するために直売所を作ろう」という具体的な計画が持ち上がりました。

そこで秋津野塾の31人が資金を出し、1999年に誕生したのが直売所「きてら」です。最初はプレハブの小さなお店で売り上げも芳しくなかったのですが、上秋津の特産品を詰め合わせたセットがヒットしたことで来店者も増加し、2003年に新築移転。2011年にはオリジナルジュースの製造工場を新設するなどの成長を遂げ、今では株式会社となっています。

直売所「きてら」の現在の写真。上秋津地区を中心に周辺地域で収穫された様々な農作物が集まる。地域の交流拠点としても活用されている

次にお話しするのは「株式会社秋津野」。上秋津地区の廃校を活用したグリーンツーリズムの拠点「秋津野ガルテン」を運営する組織です。

田辺市では90年代後半、学校の統廃合が実施されており、上秋津地区では、新築移転のために廃校予定の小学校がありました。上秋津がベッドタウンとして注目されていた時でしたので、行政は宅地にする計画を進めていたのです。ですが、秋津野塾での会合では「全国的にも貴重な木造校舎をこのまま潰してしまうのはもったいない。活用して地域農業の振興につなげたい」との意見が出ていました。その声を受け、私達も廃校舎活用検討委員会を立ち上げ、保存、活用に向けて活動することになったのです。

行政との交渉を経て、廃校舎と土地は最終的に秋津野塾の組織の中心である「社団法人上秋津愛郷会」(現、公益社団法人上秋津愛郷会)が約1億円で買い取る方向となりました。しかし、買い取りを決定するには愛郷会の総会決議が必要です。当時の会員約500名にどう説明するのか、そして合意形成ができるのかはとても不安でしたね。「事業が失敗したらだれが責任を取るのか」など、地域を二分するような議論にまでなりました。

ですが、根気よく地域住民への説明会などを行い、最終的に総会で買い取りを決議することができました。結果、2008年に489名の出資で「株式会社 秋津野」を運営母体とする「秋津野ガルテン」が立ち上がることに。「秋津野ガルテン」は、都市と農村地域の交流を楽しむための体験型グリーンツーリズム施設。建物が元小学校という特性を生かし、卒業生を巻き込んで運営をしています。活動の甲斐あって、農業の6次産業化や、都市に暮らす人々との交流を生み出すことができています。

木造校舎をリノベーションして作られた秋津野ガルテン。宿泊設備・ワーケーション設備も整っており、長期滞在型の観光拠点としてのサービスも模索中だ

さらに2014年には、地域作りをこれから先、ずっと持続していくための支援を行う組織「一般社団法人ふるさと未来への挑戦」を立ち上げました。今、取り組んでいるのは再生可能エネルギーの生産。地域の自然を活用したエネルギー生産によって得た利益を地域作りに生かすことを目指しています。太陽光エネルギーの生産から始まり、2021年には国内でもめずらしい小水力発電を地区内の川で始める予定です。

そして、2019年に発足した「株式会社秋津野ゆい」。ここまで説明した取り組みによって、上秋津地区での農業の6次産業化や都市農村交流は進んできました。ですが、5年後、10年後を考えると、農家の高齢化や後継者不足など考えるべきことがたくさんあります。そこをサポートするための法人です。出資者は農家や加工業者、商売をされている方など。作り手がいなくなった農地を借りて作物を栽培したり、農作業の請け負いなどを行っています。また、スマート農業にも着目し、作業が軽減する農機具のレンタルなども手がけています。

資本金は4法人で約1億4000万円にもなりました。これは、地域の発展について、そこに住む皆さんが能動的に考え、動いてきた結果だと思います。

地域のより良い未来を目指して

Q.玉井さんは現在76歳というお年で、30年以上も地域作りに尽力されています。現在も第一線で活躍し続ける玉井さんを支えているのはどういう思いでしょうか?

玉井一緒に活動している地域の皆さんに支えられているのだと思います。そして、大都市中心型である日本の社会はこのままでいいのか?という思いもあります。田舎が元気になって、面白さが積みあがった日本にならないと、国際競争力で負けてしまうのではないでしょうか。地方を元気にすることに少しでも役立ちたい、そういう思いをもって今も動いています。もうあと2年頑張れば、上秋津の地域作りはある程度形になるのではないかと見通し、日々忙しく動き回っています。

今年(2021年)で喜寿を迎える玉井さん。早朝から始まる秋津野ガルテンの清掃、施設運営、地域作りに関する会議や講演など、今も多忙な毎日を送っている

Q.これから、上秋津地区はどのような地域になって行けばいいと思いますか?

玉井地域のことを考える人材も増え、よりよくなっていくことを願っていますね。地域では、本当にさまざまなことが起こります。でも、そこで諦めてしまうのではなく、どうにかして前に進まないといけません。地域に関わる人が知恵を出し合い、協力して、プラス思考で解決していくことが、地域作りの一番大切なこと。それを忘れずに活動して行けば、いい地域作りができるのではないでしょうか。

また、私たちの地域だけがよくなればいいというわけでもありません。上秋津のような例をもとにさまざまな地域が活性することにより、社会全体がよくなっていく相乗効果が起きるといいですね。

Q.今回の「熊野REBORN PROJECT」に寄せる期待をお聞かせください。

玉井地域作りに携わる中で、強く感じるのは、地域内だけでなく、外からの意見も大事だということ。私は年に80~100回ほど地域作りに関する公演を行っているのですが、訪れた土地土地で聞いた話を自分達の地域に取り入れて実践することを心がけています。

今回のプロジェクトでは、それぞれに経験や学びをもった方々が、私たちの地域に来てくださって、よりよくなる術を考えてくれる。これはとても有意義なことです。そして、その意見を私たちがどれだけ吸収できるか、私たちがそれに対応できるレベルに達しているのか、そう自分自身に問い返す機会にもなっています。こうした形で生まれた人と人とのつながりを大事にしながら、これから先に繋げていきたいですね。

熊野REBORN PROJECTのメンバーとの意見交換会の様子。都市と地域をより密接につなげていくために何を改善していくべきか? 玉井さんは熱心に耳を傾ける