田辺市×YAMAP

熊野

熊野の農業に光を! 鳥獣害を地域の宝に変える
株式会社日向屋代表 岡本和宜

田畑を荒らすイノシシなどの獣は農家にとって天敵とも言えるやっかいな存在。しかし今、その獣をジビエとして活用し、地域の活性化につなげる取り組みが熊野古道周辺で始まっています。「株式会社日向屋」の岡本和宜さんはその旗振り役。和歌山県田辺市の山間、上芳養日向(かみはやひなた)地区を拠点に農業と狩猟を手掛け、人と獣の関係をアップデートしようと奮闘する岡本さんが抱く理想の未来についてお聞きしました。

鳥獣害を食い止めるために、若手農家が集結

Q.まずは、岡本さんが代表を務める「株式会社日向屋」が、どのような会社なのかお教えください。

岡本本業である農業を営みながら、畑を荒らすイノシシやシカの狩猟を行い、狩猟後の肉をジビエとして販売することが主な業務内容です。また、生産する柑橘類・梅の加工販売や、農業・狩猟を体験しながら食について学べるグリーンツーリズムなども行っています。約4年前に田辺市上芳養日向(かみはやひなた)地区の若手農家が集まって狩猟を始めた「チーム日向」を前身とし、約3年前に会社として起業しました。

チーム日向のメンバー

Q.農業を本業とする岡本さんがなぜ狩猟を始めることになったのか、経緯を教えてください。

岡本私達が暮らす日向地区は農業人口が多い地区です。私も17年前に家業を継ぎ、柑橘類や梅を育てています。この地区では、7年前くらいから鳥獣害が目に見えて増えてきました。特にイノシシやシカの被害が大きく、畑の地面を掘ったり、みかんを食べたり。時には果樹を押し倒すこともありました。私が幼い頃は、狩猟期間になれば猟に出る人が多かったのですが、最近では高齢化が進み、山に入る人は減少していました。獲る人が減れば、獣は増える一方。ここ数年はどんどん増えて、それまで被害が出ていなかったところにまで鳥獣害が及ぶようになっていたんです。

その頃、日向地区内で猟をしていたのは60代の方がふたりだけ。猟の技術を誰かが継承しておかないと、地区の狩猟は途絶えてしまいます。そこで、鳥獣害に悩まされていた若手農家に声をかけ、5人で「チーム日向」を結成しました。鳥獣害対策には、ワイヤーメッシュや電気柵で畑を守る方法もありますが、防護だけでは根本的な解決になりません。増えすぎた獣を減らすことが必要だと考え、メンバーみんなで免許を取って狩猟を始めたのです。

狩猟を続けるために見出した“意味のある駆除”

Q.それまでに経験のない狩猟を始めて、大変だったのはどんな事でしょうか?

岡本獣を捕獲するのは割と簡単でした。メンバーみんなで「わな猟免許」を取り、被害が大きいところに重点的に罠を仕掛けることからスタート。すると、「こんなにいるんだ」と驚くほど次々と獲物が罠にかかりました。大きいものだと120kgのイノシシを捕まえたり。釣りを始めたばかりの人と感覚が似ていると思うのですが、最初のうちは捕まえられたことにワクワクして楽しかったんです。

でも、それは最初だけでした。続けていくうちに苦しさを感じるようになります。当初、私達が取得した罠猟の免許には、捕まえた獣は殺して穴に埋めなければいけないという決まりがあり、棒で叩いて殺し、埋めていたんです。その“殺して埋める”という行動が回を重ねるごとに苦しくなってきて…。獲物がかかっても「今日もかかったのか…」と重い雰囲気が漂うようになりました。このままでは、目的を果たす前に自分達がしんどくなってしまう。続けられる方法を見出す必要がありました。

そこで考えたのが、捕獲したイノシシやシカのジビエとしての活用でした。ですが、私達には解体や販売の技術や経験はありません。特に解体は高い技術が必要となるので、その道のプロと繋がらなければならないと思っていました。

そんな矢先、本当に奇跡的なタイミングで、現在の仲間のひとりである湯川さんに偶然出会ったのです。彼はジビエの解体・加工施設を運営する場所を探していたところ。早速、私は当時の区長の元に出向き、ジビエの施設を誘致したいということを話しました。区長もジビエがこれからの農業振興の一端を担うという考えを応援してくれ、「やろら(やるぞ)!」のひと言、建設を快諾してくれたのです。

全国屈指の解体技術を持つと評判の湯川さん(黒い服の男性)

そういった区長の後押しもあり、ジビエの解体・加工施設の建設に成功しました。しかも場所は、日向地区の一等地。幹線道路に面し、周囲には住宅もあります。一般的に、解体施設というのは山の中など人目に付きづらいところにあるものです。でも私達が現在の場所に建てたいと言った時、地区の人達から反対意見が出ることはありませんでした。区長と同じように、基幹産業である農業を守るためにやっていることだと理解してもらえ、暖かく見守ってくれたのです。きっと、私達がチーム日向を結成し、鳥獣害対策に取り組んでいた様子を地区の方々も見てくれていたんだと思います。苦しみ、迷いながらもやってきたことは、無駄ではなかったんです。

建設途中の解体・加工施設

Q.狩猟を始められて約4年になりますが、現在の状況を教えてください。

岡本ジビエの解体・加工施設ができたことで、以前のようにただ殺して埋めるということはほとんどなくなりました。捕まえた動物を活用する経路ができ、“意味のある駆除”になったので、私達も「腰を据えて徹底的にやろう」という気持ちで取り組むように。現在では、ピーク時に比べて被害は85~90%減少しました。イノシシやシカも自然の一部。根絶するのではなく、共存する姿が理想だと考えていますので、日向地区内の駆除はひと段落ついたと感じています。これからは日向地区と隣の地区の境界周辺や、山奥などに狩猟の範囲を移して行く予定です。

2019年は120頭ほど駆除し、解体施設に運んだのは全体の3割。私もジビエに携わるようになって初めて知ったのですが、食肉として使えるものはあまり多くありません。飼育したものではなく自然のものですから、時期や臭みの有無、大きさなどに個体差があります。プロが食肉に適していると判断したものだけを、ジビエとして活用できるのです。食肉にできないものは、例えばドッグフードの加工に用いるなど、なるべく無駄にしない工夫を心がけています。

捕獲されたイノシシ

必要に迫られて始めた狩猟が起こした連鎖

Q.日向屋のジビエが、ほかのジビエと比べて優れているのはどんな点でしょうか?

岡本私達のジビエは、全国屈指の高い技術を持った解体職人である湯川さんが仕留めるところから食肉になるまで手をかけるという点が特徴です。獲物が罠にかかったら、湯川さんが現場に行き、食用になる個体か見極めた後、仕留めて血抜きを行います。そのプロセスを踏んだものだけが施設に入り、解体・加工されるのです。

解体の様子。迷うことなく入れられるナイフによって、野生のイノシシが食肉にされていく

ジビエは臭みがあるから苦手という方も多いのですが、それは血抜きなどの処理が十分にできていない肉だから。血抜きは美味しさ、臭みにダイレクトに影響します。上手くできないと、せっかくの素材もダメになってしまう、とても大切な作業です。その点、湯川さんはイノシシやシカを知り尽くしているので、解体のスピードやナイフさばきなどにも迷いがありません。正しく素早く加工することで、臭みがなく美味しい肉に仕上げることができるのです。

施設で加工されたイノシシ肉

Q.現在、ジビエはどのように活用されているのでしょうか?

岡本ジビエ施設の誘致が成功した次の課題は、ジビエをどう地域活性化に活用するかということでした。主に関西圏の飲食店や旅館、ホテルなどに卸しているのですが、地元でも広められないかと考えたのです。

そこで声をかけたのが、地元出身で長野のフレンチレストランに勤めていた料理人の更井さん。元々ジビエはフレンチでも多く使われますし、彼もふたつ返事で協力してくれました。更井さんが腕を振るって作るジビエ料理を地元の人達と食べる「ジビエを知る会」も発足し、毎年開催していました。そうしているうちに更井さんも、地元に帰って店を構えたいという思いを持つようになり、Uターンして2020年9月に「レストラン キャラバンサライ」をオープン。もちろん私達のジビエを使ったメニューを食べることができます。

レストラン キャラバンサライで提供されているジビエコース

鳥獣害対策として始まった狩猟が解体・加工施設の誘致、出口のひとつとなるレストランの開業まで繋がりました。その一連がこの地域内で実現したのは、すごいことだと感じています。日向屋はもちろん、解体・加工施設の湯川さんやレストランの更井さんも「自分達がよくなればいい」ではなく、「地域全体をよくしていきたい」という共通の思いを持っています。各人が強みを生かしながら、協力して盛り上げていけるのはうれしいことですね。

日向地区を次の世代に繋げるために

Q.これからの日向地区について、岡本さんが考えていることを教えてください。

岡本日向屋としては地域に根付いた企業としてこれからも発展し、子ども達が就職したいと思える存在になっていきたいです。この辺りは田舎なので、就職できる会社は多くなくて。そのひとつになれば雇用の受け皿にもなることができ、地域にもっと貢献できるのではないかと考えています。

また、保育園や小学校、中学校と連携して、地域課題や農業の可能性について話す機会をもらっています。小学生には、産業用のドローンを実際に飛ばしてスマート農業について解説したり、中学生には、梅やミカンを使った商品開発を考えてもらったり。実際に中学生が考えたものを、日向屋で商品化して販売する計画もあります。子ども達も楽しそうに体験したり、考えたりしています。そうして農業の未来について教えることも私達の役割だと感じているんです。

教育活動の一環として、保育園児と一緒にとうもろこしの農業を行う様子

Q.最後に、今回の「熊野REBORN PROJECT」に寄せる期待をお聞かせください。

岡本私はこの地域で生まれて、この地域で育ちました。そして、次の世代にいい形でこの地域を引き継いでいきたいと思っています。そのためにも、外部との交流や都会に住む人達のアイデアというのは必須です。外から来た方がこの地域の魅力を発見し、発信してくれる。これは地域にとってすごくプラスになることです。

“地元の土を動かすのは地元の人間、地元に新しい風を吹かすのは外の人間”だと私は考えます。今回のプロジェクト参加者のように外からこの地域を思ってくれる方々と私達が一緒になって、地域に新しいことを生み出せればと期待しています。