熊野古道中辺路(なかへち)の玄関口、和歌山県田辺市を拠点に熊野の森づくりに奮闘する新進気鋭の林業ベンチャー「株式会社中川」。その創業者兼従業員の中川雅也さんは「トトロの世界のような里山を熊野に作り出したい」という情熱を胸に、新たな挑戦に取り組む林業界の風雲児です。中川さんが熊野の里山にかける想い、そして理想とする林業とは?
Q.全国的にもめずらしい植樹を中心とする林業を手がけている中川さん。林業に携わるようになったきっかけを教えてください。
中川熊野古道の玄関口として知られる田辺市ですが、私が生まれ育ったのは海の近く。山は遠足で行く場所というくらいの感覚で…、実は山に思い入れがあった訳ではないんです。
大学は田辺市を離れて京都へ。卒業後は貿易会社に就職し、籐や竹製品を輸入するためにインドネシアのスラバヤと日本を往復する生活が続きました。そんなある日、帰りの飛行機で熱っぽさを感じ、病院に行ったところデング熱と診断されて即入院することに。東南アジアではデング熱が流行していて、私も気づかないうちに何度か感染していたようです。ただその時発症したのが、出血を伴う複合型で40度以上の熱が3~4日も続きました。デング熱に繰り返しかかると重篤な症状になりやすいと言われ、それをきっかけにインドネシアでの仕事は断念したんです。
当時勤めていた会社で告げられた次の赴任候補地は、スペイン語必須のアルゼンチンと、デング熱が流行しているスリランカ。もちろんスペイン語は話せません。どちらも難しく感じたため、退職して田辺に帰ってきたんです。
仕事を探し、偶然新聞で見つけたのが森林組合の求人。「就職試験があるような職場なのできっとちゃんとしているだろう」安定を求めて選んだ仕事がたまたま現在に繋がることになったのです。入社後は、作業の計画作成や管理・運営、作業後の検査など事務的な仕事を中心に担当。工事の現場監督のような仕事と言えばイメージしやすいでしょうか。仕事はまさしく多忙でしたね。
でもある日、当時3歳だった息子から「もっと一緒に遊んでほしい」と言われました。私は家族のために一生懸命働くのが当然だと思っていたのですが、息子にとっては遊んでくれるお父さんが必要だったんです。もっと家族との時間を大切にしなければと思い、翌日に退職を申し出ました。
Q.林業で起業するために前職を辞めたのではなかったのですね。その後、どういう経緯で「株式会社中川」を立ち上げることになったのでしょうか?
中川退職届を提出して実際に辞めるまでに実は1年かかりました。そのため、退職後の人生を考える時間がしっかりあったんですね。家業のガソリンスタンドを継ごうかとも思ったのですが、サービス業はお客さまありきが鉄則です。家族よりも仕事を優先することになっては本末転倒だと思い、断念しました。では、家族や自分の時間を優先できる業種は?と考えて、最終的にたどり着いたのが第一次産業です。納期までの時間配分は自分の采配で決められますし、起業するのであれば、なおさら時間の融通が効くと思ったんです。例えば、午前中だけ仕事をして午後は子どもと過ごす時間に充てる、ということも可能です。
また林業組合で働いていた約8年の間に、何人もの村長さんと出会い「昔は豊かな水があったのに」「最近どんぐりが拾える木が少ない」といった話をよく聞いていました。何度もそういう話を聞くうちに、「当たり前にあるこの空気、水を後世に残したい。それを実現できる仕事は何だろう」と考えるようになりました。そして、それはまさに林業だという答えにたどり着いたんです。「家族を大切にする生活を実現でき、そして将来に美しい自然を残せる。これは望み通りの仕事じゃないか!」ということでガソリンスタンドを畳んで、株式会社中川を立ち上げることにしたんです。
Q.設立した会社で取り組んでいる「木を伐らない林業」とは、どのようなものなのですか?
中川林業の世界では、山の所有者は木を切って収益を上げることを重視し、将来への投資である植樹はそのおまけである場合がほとんどです。ひどい時は切るだけ切って、植樹をしないなんてケースもある。林業と聞くと、チェンソーで木を伐り出す光景を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
一方、我々が手掛ける林業はこれまで「おまけ」と思われていた部分。伐採後、山がきちんと再生できるように植樹をするのです。広葉樹を植えて自然豊かな森にするのか? 針葉樹を植えて、お金を生み出す森にするのか? 山主さんの意向も踏まえながら未来の森を設計していきます。
木を伐ったまま放置された山に雨が降ると、土が流されてどんどん森が再生しづらい環境になる。そうすると、土砂崩れや鉄砲水といった災害も増えてしまいます。私たちが手掛けている「木を伐らない林業」というのは、山を健康な状態に保ち、災害を予防し、人々の生活を守ることにもつながる取り組みなんです。
Q.植樹のための苗木も自社で育てていると伺いました。その理由を教えてください。
中川私たちが特に力を入れているのが広葉樹の植樹です。杉やヒノキなどの針葉樹は日本中で苗木が作られているんですが、広葉樹の場合はそれがとても少ない。例えば紀州備長炭の原料であり、和歌山県の県木でもある「ウバメガシ」。苗を購入すると九州や四国から届きます。この状況だと、苗にかかる費用がすべて和歌山県外に出てしまいますよね。私たちが作業すればするほど、地域の外へとお金が流出していく。それはおかしいと思いました。
私たちの足元にはこんなにウバメガシのどんぐりが落ちているんです。であれば、自分たちで育てたほうがいいじゃないかと。自分たちの手だけで足りなければ、地域のみんなの力も借りて育てればいいと思って苗木作りを始めました。
地元のおじいちゃん・おばあちゃんなんかの力も借りて苗木を育てれば、お金も地域内で循環するようになるし、地域の活力にもつながる。子どもがどんぐりを拾ってきて、その苗木を家族全員で育てるなんて形も素敵ですよね。最近では、子どもを対象とした「どんぐり拾い」のイベントも行っているんですが、参加した子どもたちが、帰宅後にその話を楽しそうに家族に話すんですね。「どんぐりを拾って植えたよ。芽が出たら山に植えに行くんだ〜」って。
田辺周辺には、先祖から山を受け継いだけど、興味を失っているおじいちゃん・おばあちゃんが結構いるんですが、お孫さんの話を聞いた途端、山のことを思い出して「孫がよろこぶなら」と急に山作りに前のめりになるなんてケースもあるようです。そうすると、私たちの会社に仕事の依頼が来るという…(笑)。
どんぐりが嫌いな人っていないと思うんです。だから、どんぐりから苗木を育てるっていうのは、その行為以上の、人々の心に訴えかける何かを持っているのではないかという気がしています。
Q.設立した会社で取り組んでいる「木を伐らない林業」とは、どのようなものなのですか?
中川私は現在、創業者兼従業員という、わけのわからない肩書きです(笑)。でも、これには理由があるんです。それは、林業自体の働き方を変えたいという思い。
私は、林業に携わっている人の生活水準を上げ、豊かな働き方を実現したいと思っています。そのためには様々な意見を取り入れる必要があると思うのですが、私が社長だと社員の本音が聞きづらいですよね。であれば、従業員と同じ立場や待遇で仕事をする方が、現場の状況や日頃の生活が見えてくると思ったんです。
現在の社長は私の母です。私は一社員ですので、新しいアイデアを実現する際には、社長に決裁を上げて、プレゼンして…という段取りを踏んでいます。まだ、起業してそれほど経っていない会社ですので「もっと地に着いたことをしなさい!」と叱られることもよくありますね(笑)。
Q.会社内の全員が全員の給与を知っているというのもユニークですね。
中川現場で働く人の評価は、内勤の人間からは見えにくい。そのため私たちの会社では、リーダーに部下の給料の決定権を預けています。会社の決裁や、案件の受注額の内訳などもすべてオープンにして、「会社の収支がこうだから人件費にはこれくらい充てられるんだ」ということを説明しているので、もめることもありません。もちろん、私の給料も社員全員が知っていますよ。みんなに給与を知られていると思うと、仕事に手が抜けなくなり、作業効率も上がりますね。
また、全員が日当制で、自分が希望するペースで働けるようにしています。例えば、月の前半3週は週6日フルで働いて、最終週はすべて休みにするということも可能。山での仕事は体調が悪かったり、気分が乗らなかったりする時はやらないほうがいい。自分の裁量で休んで、明日からがんばろうと思えるほうが、会社にとっても社員にとってもベストなんです。
私自身も当初の目的だった、家族との時間をゆっくり持つということが実現しました。8歳になった息子は喜んでくれていますね。でも、5歳の娘には「いつも家にいるよね、○○ちゃんのお父さんはもっと仕事してるよ~」と言われることも(笑)。きっと家族との時間が足りているから、こういう会話も生まれてくるんだと思います。
Q.従業員の方はどうやって入社してくるんですか?
中川求人に関しては、あまり大っぴらには募集していないんです。外に出さないことによって、入社したい人は一生懸命調べて、会社のサイトを見つけて、勇気を出してメールや電話をする。そうしないと入社できないようにしています。
そうすると、面接に来る段階で「本気なんだ」ということがわかるので、入社にもつながりやすい。意欲がある人が入社するとスキルアップも早いので、仕事の質も上がってくる。仕事の質が上がれば、世の中の評価も高くなり、仕事の依頼も増える。仕事が増えれば、また新しい優秀な人が入社してくれる。
そういった循環がうまい具合に生まれていると思います。もともとは3名で始めた会社ですが、現在の従業員数は21名(アルバイト除く)になりました。
Q.「育林は育人」という社訓を掲げられていますが、こちらにはどのような思いが込められているのでしょうか?
中川山を育てるには人の力と技術が必要です。そしてその人を育てるためには山が必要なのです。山を育てることが人を育て、人を育てることが山を育てることにもつながる。当たり前のことですが、そこにフォーカスして人材育成に尽力しようと思い、社訓にしています。
林業のベテランを招き入れるよりも、新しい人がどんどん林業の世界に入るきっかけとなる会社になるのが理想ですね。林業の経験がなくても、それまでのスキルをきっと生かすことができると思うんです。例えば、貿易の仕事をしていて中国語や英語が堪能な人は将来、海外からの移住者を雇って起業できますし、労働組合にいた人は働く環境をブラッシュアップする意見を出せます。運送業をしていたからロープワークが得意、元営業職でコミュニケーション上手なので現場の雰囲気を明るくできるなど、経歴や性格、長所を生かせば仕事の充実度も高まるのではないでしょうか。
そして私たちの会社では、従業員に「もっと上を目指そう」と伝えています。ずっとこの会社で働くのではなく、自ら起業することを勧めているんです。私もそうだったように、ひとりでは難しいことも仲間とならきっとできる。思いの共有ができ、ベクトルが同じ方向を向いている同期と一緒に起業して欲しいですね。私にとっては人材の流失というよりも、仲間が増える感覚です。株式会社中川出身の人が同地域や他府県で起業することで、新たな経営者が生まれれば、あちこちで山が守られることに繋がっていくと思います。
Q.今回の「熊野REBORN PROJECT」に期待されることを教えてください。
中川少しずつ変わっているとはいえ、熊野の森や林業はまだまだ閉鎖的だと思います。いろんな人が多様な価値観で山について考えるということが圧倒的に少ないのです。
今回のプロジェクトの場合、熊野、そして林業の外側にいる方々だからこそ見出せる価値があるのではないかと期待しています。「木を伐る」「木を植える」それも山の価値ですが、登山や紅葉を楽しんだり、風景を楽しんだり。林業以外の多様な山の価値を見つけて欲しいと思っています。
Q.参加者の意見で印象に残ったものはありましたか?
中川さまざまな目線からアイデアが出てきましたね。ちょっと難しいのでは?と思うような意見でも、どうにかしてやってみたいというワクワク感をすごく覚えました。都会に住む人だからこそ気づく田舎の価値。それを知ることができたのが、とても楽しかったですね。山にたくさんあるものを使って2次・3次産業化するヒントもありました。
「整備しないキャンプ場」というアイデアなんて、まさにそうです。わざわざ整備しなくても、山のありのままの自然、そしてそこに自分なりの寝床を作ること自体を楽しみにすればいい。そこに価値があるのだというのは、発見でした。
また、都会の人たちも「どんぐり」が大好きだということが知れたことも本当に嬉しかった。どんぐりを使った取り組みをもっと推進していけば、都会と地方の交流が広がりそうだと思いました。
例えば、田辺に来た時に拾ったどんぐりを持って帰って育ててもらう。育てた苗を植えに来る。育った木を見に来る。1度行けば終わりだった訪問が、2度、3度になっていく。そういう人が増えるといいですね。第二のふるさととまではいかなくても、年に1度は来てくれるような関係性を多くの人と作りたい、そのために皆さんの力を貸して欲しいと思っています。