和歌山県田辺市を拠点に熊野古道の観光活性化に取り組む「田辺市熊野ツーリズムビューロー (以下熊野ツーリズムビューロー)」。その会長を務める多田稔子さんは、古くからこの地に伝わる「巡礼の文化」を大切にした旅のスタイルを国内外に発信し、現在の熊野観光を作り上げた立役者のひとりです。多田さんが携わる熊野の観光プロモーションについて、また熊野の魅力について、そしてこのプロジェクトにかける思いについて伺いました。
Q.熊野エリアのインバウンド誘致を成功に導き、いまや観光業界から熱い視線を集める存在となっている多田さん。観光に携わるきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
多田今の田辺市の前身、旧田辺市は観光がそれほど盛んな土地ではなく、観光関連業者が少なかったんです。観光協会には商店や農家の方、私のような会社経営者など幅広いメンバーが所属していて、どちらかというとまちづくり団体というような雰囲気でした。長年参加しているうちに、いつの間にか副会長になり…2005年には会長になっていました。
ちょうどその頃は田辺市の変革の時でもありました。2005年には旧田辺市と2町2村が合併し、近畿地方一の広さを誇る新「田辺市」が誕生します。また、前年には新しい田辺市内の熊野古道や熊野本宮大社が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録されたことで大きな注目を集めました。
市町村合併と世界遺産登録という転機をきっかけに、市全体の観光プロモーションを官民協働で行う「熊野ツーリズムビューロー」が発足することになったのです。旧田辺市と周辺2町2村にそれぞれあった5つの観光協会を構成団体としたため、旧田辺市の観光協会の会長だった私もその一員に。そこから本格的に観光プロモーションに携わるようになったのです。
Q.官民協働ということですが、行政だけではなく、民間の力も取り入れた組織にしたことには、どういった狙いがあったのでしょうか?
多田世界遺産登録というのは観光においてとても大きなチャンスです。この一瞬のチャンスを掴むためにはスピード感が必要であると考え、熊野ツーリズムビューローは民間主導で活動することになりました。「田辺市だけで完結しない複数の市町村をつないだプロモーションを実施する点」や、「宗教色の強い世界遺産であり、行政ではやや扱いにくい点」などからも、この活動は民間が主導すべきだと考えていたんです。
Q.この5項目が、熊野ツーリズムビューローの観光基本戦略ということなのですが、こちらを定めた理由をお聞かせください。
多田世界遺産登録直後は、観光バブルが起きました。それはもうすごかったですね。でも、たくさんの人が大型バスでやってきて、ちょっと見て、次の観光地に行ってしまう。そういったいわゆるマス観光が主でした。地域にはきっと、たくさんのお金が流れ込んだと思います。でもその光景を見て、私たちも地元の人たちもブームの観光は長続きしないし、本来の良さも伝わらないだろうと感じていました。そこでこの5つの基本戦略を決めたのです。
観光にインパクトがあると、どっと人が押し寄せますがそれは地域の住民にとってもインパクトになってしまいます。でも、地域に住む多くの人たちは観光なんて関係なく住んでいます。その方々の住空間が、観光客が増えることによって壊れてしまうのは絶対に防がなければならないと思いました。
そこで、インパクトや一過性のブームを求めず、地域の文化を大切にした、上質な観光地を目指そうという基本スタンスを決めたのです。
Q.熊野ツーリズムビューローの業務は、ホームページやパンフレット、MAPの制作などに始まり、メディアへの露出や各地でのPR活動など多岐にわたると聞いています。なかでも特に注力されているのはどういった点ですか?
多田現在、熊野の観光はインバウンドが多くの割合を占めています。これは当初から、トレイルを目的とする旅が盛んな欧米豪からの個人旅行者を主なターゲットとして活動してきた結果だと思います。そのために当初から時間をかけて取り組んできたのが、受入地の整備です。英字表記の看板やMAPなどを整え、海外からの旅行者でも、個人で安心して歩けるようにしました。
それと並行して取り組んだのが、抵抗感なく外国人を受け入れられる雰囲気を地域に根付かせることです。そのために、地域の方々を対象とするワークショップを60回以上行いました。みんなで集まって、日本人だけと接していては気づかない文化や考え方の違いに気づく場です。回を重ねるにつれ、参加者から「英語が話せないので民宿のチェックインの説明書きの英語版が欲しい」などの要望やアイデアが出るようになり、それをひとつずつ作って各々で活用していったのです。
そうした取り組みによって外国の方々がスムーズに観光できるようになり、地域の方々も成功体験を重ね、受け入れるマインドと態勢が整っていきました。民宿の経営者は年配の方が多いのですが、今では知っている英語を駆使してコミュニケーションを楽しんでいるようですよ。来てくださる観光客も熊野を理解しようと思って歩いている人たちなので、上手くいっているのだと思います。
Q.2010年には旅行事業を行う「熊野トラベル」を設立されています。こちらはどういった経緯があったのでしょうか?
多田プロモーションを行う中で感じたのは、実際に人と人を結ぶ役割やサービスを売る役割が存在しないと、田舎にはなかなか人が来れないということ。
特に海外からの観光客を呼ぶにはこのままでは難しいと感じるようになり…。そこでモデルコースの提案や、旅行者のニーズに合わせた旅行の手配、宿泊手配などの旅行事業を行う「熊野トラベル」を立ち上げることになりました。
必要に迫られて始めたので、ノウハウが乏しく、地域の方々に旅行業というものを理解してもらうのも難しくて大変でしたね。「旅行事業者から紹介されたお客さまが来たら、仲介手数料を払う」という概念がなかったんですね。しかも来るのは外国人ばかり。「そんなことまでして来てもらわなくても結構です」と言われたり…。それを一つずつクリアしてくのに苦労しました。10年経った今では我々の役割も認められ、契約を待ってもらうほどまでになったのでほっとしています。
Q.その結果、熊野の観光にどのような変化が見られましたか?
多田田辺市の観光の動態調査では、昨年ののべ宿泊者人数は約46万人と世界遺産登録直後と変わらない人数をキープしています。世界遺産登録当初、海外の宿泊者は年間数百人程度だったのですが、昨年は約5万人にまで増えました。
田辺を訪れる観光客の人数自体は変わらないのですが、風景は変わりました。登録直後のようなマス観光は減り、少人数で訪れて、熊野古道を歩く人が増えたんです。きちんと熊野のことを知り、長い時間をかけて歩いてくれる。これこそが巡礼の道、熊野古道の在るべき姿であり、私たちが思い描いてきた観光の形です。
熊野古道は歩く人がいるからこそ、成立する世界遺産。歩く人が巡礼の道の風景を完成させるんです。そして、歩く人がいることで、道は守られます。特に山道は歩く人がいないと植物が生い茂ってどこが道かわからなくなります。
熊野古道は巡礼の道や生活の道として人々が歩き、1,000年以上守られてきました。その道を観光活用することで次の1,000年に繫げる。今その取り組みをしないと、人口減と交通の発達によって古道はなくなってしまうかもしれません。道があることで集落も維持でき、里山の風景が守られます。その循環を止めないようにする。これが私たちの使命だと思っています。
Q.2020年は新型コロナウイルスの影響でインバウンドが激減しています。今後の課題についてはどう考えていますか?
多田これまでインバウンドはずっと右肩上がりで成長してきたのですが、2020年は厳しい状況です。インバウンドがゼロに等しいのは、そこに力を入れていた私たちにとって大きな痛手。ただ、この局面は国内にもっと熊野をアピールする機会になるのではと思っています。
コロナ禍での体験によって日本人の意識も変わりつつあります。アウトドアに目が向くようになったことに加え、精神的な経験を求めている方も増えているのではないでしょうか。熊野は古くから「よみがえりの地」と言われてきました。「気持ちの中で迷いがある、再出発したい、けじめをつけたい」そういった思いを持った国内の方にも熊野を訪れて欲しいですね。
そのほかに、観光から一歩踏み込んだ、熊野の関係人口も増やしていきたいです。3~4年前に『熊野古道女子部』という、東京を中心とする熊野エリア外の女性たちによる会が誕生しました。30人くらいでスタートして、今は100人を超える規模に。年に何度か熊野古道を歩きに来てくれるうちに、地域の人たちとも顔見知りになり、地域を活気づけてくれる存在となっています。
多田よく聞かれるのですが、成り行きでここまで来たとしかいいようがなくて(笑)。きっと熊野の神様の思し召しなんだと思います。そして、この仕事に携わることでたくさんの貴重な体験ができることも次への力になっていると思います。
それは和歌山から出たことがなくて、日本のこともよく知らない“地域限定”の私が、世界のことを少し考えられるようになったこと。例えば、外国人のスタッフと話をしていると、里山や川など私たちにとっては当たり前の風景をとても素敵だと言うんです。そういうことを見聞きしているうちに、自分の考えや感じ方の枠が広がったように思います。
そして、自分の商売は目先のことで動かないといけないことが多いですが(多田さんは熊野ツーリズムビューロー会長職以外に本業でビルメンテナンスの会社を経営されています)、熊野ツーリズムビューローではもっとロングスパンで物事を考えられるんです。1,000年以上続いてきた熊野詣の歴史や文化を、次の1,000年に橋渡しする。こういった得難い体験ができるから、続いているのでしょうね。
Q.1,000年先に繋げたい熊野古道。多田さんが個人的におすすめする楽しみ方を教えてください。
多田まず、歩いてみてください。歩いてこそわかることがたくさんあるはずです。私は田舎育ちなので歩く前は「山道の何が楽しいの?わざわざ歩かなくても…」という気持ちだったのですが(笑)、淡々と歩いていると、体は疲れても心がすっきりし、歩くことの楽しさを感じるようになるんです。人それぞれでしょうが、きっと古道を歩けば、何か発見があるはずです。
熊野古道のなかで私が一番好きなのが熊野川の参詣道。約1,200年前、上皇や貴族たちが熊野本宮大社から熊野速玉大社を巡拝する時に利用した川下りをいまも体験することができます。川の参詣道が世界遺産になっているのは世界でここだけなんですよ。約90分の川下りなのですが、舟から見る風景が素晴らしくて。河口近くまで人工的な建造物がほとんどなく、自然の景色が続くんです。1,000年前の人もこの光景を見たのではと思わせてくれる場所です。
そして、地域の面白い人との出会いを楽しんでください。熊野には本当にいろいろな人がいます。熊野の神様は、浄不浄や老若男女、身分の差もなく、すべての人々を受け入れるので、そういう気質がこの土地にもあるのだと思います。
“奇人”と言われた学者の南方熊楠が、世界中を旅したのち、田辺を気に入って暮らしたというのもうなずけますね。多くの外国人をスムーズに受け入れられたのもそういう風土があるからなのではないでしょうか。普段、暮らしにくさを感じている人も、きっと田辺では安心して過ごせると思いますよ。
Q.最後に、今回の「熊野REBORN PROJECT」に寄せる期待をお聞かせください。
多田参加されている方は能力やキャリアなどに優れた素敵な人ばかり。住んでいる私たちとは全く違う視点で熊野を見てくださると思います。自分のまつげが見えないのと同じで、ずっとここにいると当たり前すぎて見えていないものがきっとたくさんあるんですよね。それをどんな風に見て、どんな風に感じるのか。そしてそこから生まれる意見やアイデアを、私たちの観光の基本スタンスと合致させながら活かしていければと思っています。